掃部堤

マーカーは墨堤通り/旧日光街道交差点です。

掃部堤
[掃部堤(桜土手、現・墨堤通り) – 荒川の熊谷堤の広大な河川敷に石出掃部亮吉胤が築いた堤、荒川水除堤(みずよけつつみ)として築かれ、 熊谷堤からここまでが、千住宿の仲町となる。この掃部堤(足立区千住曙町2地先から – 足立区千住宮元町31地先で熊谷堤げ合流)には、明治の中頃に桜が植えられ、
後に「桜土手」と呼ばれ、昭和の初め頃まで堤の 両側にある桜並木として栄えた。下画は、葛飾北斎の「富岳三十六景隅 田川関屋の里」で、関屋から掃部宿方面を眺めた江戸時代の掃部堤である。遠くに富士山が見られる。堤上にあった関屋の一軒茶屋(京成関屋駅北口の北島タバコ店・掃部堤南端)より眺めたと推定されている。なお勝山準四郎著「足立の史話」30頁によると、「吉胤が築いた当時の高さは一丈三尺(約四メートル)・・・、その後のかさ上げ工事でさらに高く なり、・・・堤外の河原町の町外れには、土手下まで芦が繁茂し、よしきりの鳴き声がかん高く響いて、土手らしい風情があった。この土手も[荒川]放水路が完成し、荒川の氾濫が予防されたので水除堤の役割を果たし終わり、昭和六年頃から約一メートル程高さを削り取り、その土で両側を埋めて道路を広くし今日の道路に変身し、その時に桜並木も姿を消したのである。」と記述され、掃部堤がかつては下画の絵のように土手としての風情があったことが想像できる。   (「『千寿七福神めぐり』 – NPO法人越谷市郷土研究会」より)]

隅田川関屋の里(すみだがわせきやのさと)

カメラ位置は墨堤通り/旧日光街道交差点で、カメラ北北東方向が千住宿の仲町になります。

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