旧小菅御殿石燈籠

マーカーは旧小菅御殿石燈籠です。

国立公文書館 デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図 – 葛西筋御場絵図」(絵図は東が上になっていますので、北を上にすると見やすくなります。絵図を北向きにして、中央左方向・綾瀬川に架かる水戸橋の左上が旧小菅御殿になります。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、綾瀬川に架かる水戸橋左上に小菅監獄が描かれています、そこが旧小菅御殿です。

旧小菅御殿石燈籠
[現在、東京拘置所のあるこの地は、関東郡代職であった伊奈氏下屋敷が置かれたところに、その後、元文元年(1736)7月、将軍鷹狩りの時の休憩所である小菅御殿(千住御殿)が建てられました。
 この石燈籠は、総高210cmの御影石製で、円柱の上方に縦角形の火袋と日月形をくりぬき、四角形の笠をおき宝珠を頂いだいています。もとは数行の刻銘があったと思われますが、削られていて由緒は詳かではありません。この石灯籠は、昭和59年(1984)に手水鉢・庭石とともに、現在地に移されました。
 なお、小菅御殿は寛政4年(1792)伊奈氏の失脚とともに廃され、その後跡地は江戸町会所の籾蔵、幕末期には銭座明治期には小菅県庁、小菅煉瓦製造所、小菅監獄が置かれました。  (「旧小菅御殿石灯籠 – かつしかデジタルミュージアム|Katsushika Digital …」より)]

[大政奉還後の1869年(明治2年)1月、関東郡代伊奈氏の屋敷跡(その後、一時将軍鷹狩りの休憩地「小菅御殿」となっていた)に県庁を置き、小菅県が誕生した。これは現在の東京都足立区葛飾区江戸川区埼玉県千葉県の各一部などを含む広大な土地であったが、当時はまだ全国に藩も混在していた時期で、1871年(明治4年)11月には廃藩置県に伴って小菅県は廃止され、周辺は東京府南葛飾郡に属することとなった。
県庁跡地は約10年間煉瓦工場となった後、小菅監獄(小菅刑務所を経て、現在の東京拘置所)となった。  (wikipedia・小菅より)]

旧小菅御殿石灯籠 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向レンガ塀向こうに旧小菅御殿石燈籠があります。