祟福寺

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祟福寺
[祟福寺は、香山泰厳が浜町付近に慶長5年(1600)祟福庵を結んでいたところ、慶長18年前橋城酒井雅楽守忠世帰依・開基となり、総寧寺十七世骨山恕徹和尚を勧請開山として祟福寺として創建したといいます。関東大震災で罹災、昭和3年当地に移転しました。
●葛飾区寺院調査報告による祟福寺の縁起
慶長5年(1600)3月、香山泰厳が江戸浜町に祟福庵を結び、同18年、前橋城主酒井雅楽守忠世の帰依により堂舎を建立し、祟福寺と称した。明暦3年(1657)正月、江戸の大火に焼失、浅草松清町(台東区)に1300坪の地を得て移転、以来酒井家の菩提寺として栄えたが、大正12年9月の関東大震火災にかかり、昭和3年6月現在地に移り、同8年本堂山門鐘楼等を再建した。墓地および境内に歌人福田竹庵の墓、小野鷲堂筆の記念碑、画家長谷川等伯の墓碑等がある。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
●御府内寺社備考による祟福寺の縁起
下総国国府台総寧寺未 浅草田原町 海烏山祟福寺 境内拝領地1305坪2合5勺
当寺、古来は浜町辺二崇福庵与申有之候処、慶長十八癸丑年此地江起立仕候。
勧請開山総寧寺十七世骨山恕徹和尚、元和九奨亥年八月十一日寂。
中興開山香山泰厳和尚、寛文元辛丑年六月十三日寂。
開基隆興院殿発向源莫大居士、俗名酒井雅楽頭忠世。寛永十三丙子年三月十九日卒。
本堂、間口7間奥行6間。本尊釈迦牟尼仏、脇士文珠菩薩 普賢菩薩
鎮守金比羅稲荷合社、2間ニ9尺。
如意輪観世音一番之札所。
右は明和八卯年三月十七日、施主山川十右衛門奉納仕候。
以上乙酉書上
○如意輪 准西国札所当寺を第一番とし、浅草下谷へかけて順札所あり。(江戸図説)(御府内寺社備考より)  (「祟福寺|葛飾区高砂にある曹洞宗寺院 – 猫の足あと」より)]

祟福寺ホームページ

崇福寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が祟福寺山門です。

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