立石様

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マーカーは立石様です。

立石様
[立石地域は、古墳時代後期には既に拓けていたと考えられており、立石様のある立石八丁目の周辺には南蔵院裏古墳(明治時代に破却)や熊野神社古墳といった古墳跡の存在が確認されている。
立石様自体も近郊の古墳石室と同質の房州石(凝灰岩)であることが解っており、このころ千葉県鋸山付近より同地に持ち込まれ、奈良平安時代には立石付近を横断していた古代の官道(東海道)の道標として転用されていたと考えられている。
室町時代の1398年(応永5年)に記された「葛西御厨田数注文」に地名としての立石が初めて登場する。  (wikipedia・立石_(葛飾区)より)]

[葛飾区教育委員会掲示による立石様の案内
立石の地名は、この地に「立石様」と称する奇石から起こった地名で、すでに室町時代の古文書にその地名が記載されています。古代において官道脇に道しるべとして石を設置することがありその所を「立石」と呼びます。「立石様」は古墳時代に遠く千葉県の鋸山付近から古墳の石室を造る石材として運搬してきたもので、奈良時代以降になって墨田から小岩に抜ける古代東海道の道しるべとして転用されたものと考えられています。「立石様」は江戸時代には地上60センチ以上も露出していたと言われ、住民の信仰の対象になっていました。現在では、わずかに数センチほど露出しているにすぎない状態です。(葛飾区教育委員会掲示より)  (「猫のあしあと – 立石様」より)]

[地名にもなった古い石で「根あり石」とも言われ、その深さは計り知れないとされる奇石。様々な伝承、伝説が伝えられる。  (「葛飾区ホームページ – 立石様」より)]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「立石村立石」(19-46)、「立石解説、熊野権現祠解説・右ページ5行目から」(19-44)

立石祠 – Google Map 画像リンク」、「立石 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向に立石様が祀られています。


  

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