マーカーは葛西神社です。
「江戸御場絵図」(絵図は東西方向を軸に描かれていますので、絵図を回転して南北を軸にすると見やすくなります、南北軸にした絵図で、中央右方向・江戸川左、「金町」右方向に香取社と描かれています。)
葛西神社
[葛西神社(かさいじんじゃ)は、東京都葛飾区東金町にある神社である。 旧社格は郷社。金町、東金町を合わせた11町会の総氏神。祭囃子発祥の神社である。
創建の年代は平安時代末期、元暦2年(1185年)である。当時は上葛西、下葛西合わせた三十三郷(現在の行政区分では、東京都葛飾区、江戸川区の全域、墨田区、江東区、足立区の一部地域にあたる)の総鎮守として葛西三郎清重公の信仰により 香取神宮の分霊を祀ったのが始まり。 この地は葛西御厨の神域にあり、21年ごとに香取神宮の造営を携わった関係から、郷内の守護神として奉られたといわれている。もとは香取宮と称していた。その後時を経て、明治8年には郷社に定められ、終戦後は全国神社の社格が廃止され、宗教法人葛西神社として今日にいたる。
御祭神
●経津主神(ふつぬしのかみ) – 経津主神はフツと断ち放つ剣を象徴した神名とされる。そのような働きにより、自己研鑽、勝負、諸願成就の神として葛西神社において主祭神として往古より永く奉られている。
●日本武尊(やまとたけるのみこと) – 日本武尊は景行天皇の皇子。日本書紀の倭姫命の叢雲剣(むらくものつるぎ)の段の話や、日本武尊の御魂が空高く舞い上がり、飛び立っていったという古事に因んで白鳥となり酉との縁が生じ、おとりさまとしての神様の面など、エピソードの多い神様である。
●徳川家康尊(とくがわいえやすのみこと) – 江戸時代初め、徳川家康が葛西神社へ立ち寄った際、古くから伝わる操り人形芝居の神事を見たところ、大変感激し、もっと盛んにしなさいと天正19年に御朱印十石を送られた。この縁により、葛西神社において徳川家康を奉ることとなる。立身出世や事業成功の象徴として今なお敬意を集めている。
酉の市
葛飾区唯一のお酉様として11月の酉の日には、熊手を求める参拝者で賑わっている。酉の市の夜に欠かせないのが、神楽殿における素人演芸大会。戦前から長い間ずっと続いており、当時、NHKのど自慢大会の初代の鐘が奉納され、今でもその鐘で参加者の歌唱力を審査している。
骨董市
毎月第一土曜日に朝8時から夕方まで、葛西神社青空骨董市委員会による青空骨董市が開かれており、多数の出店がされている。
葛西神社鳥居・wikipedia-photo
葛西神社拝殿・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、葛西神社社の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・葛西神社より)]
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カメラ東方向が葛西神社です。
葛西神社境内のカメラです。
酉の市のカメラです。