マーカーは観音寺です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で中川の左に描かれる「卍」が観音寺です。
観音寺
[真言宗豊山派の観音寺は、両鎮山慈眼院と号します。天正4年(1578)真盛法印が創建したと伝えられます。江戸時代には、三社明神社(現青砥神社)の別当と勤めていました。
●葛飾区寺院調査報告による観音寺の縁起
天正四年(1578)真盛法印の創立。本尊の十一面観世音菩薩像は弘法大師の作、元禄七年(1694)の修復と伝えられていたが、正徳3年(1713)火災に罹り、古記録等とともに焼失した。また当寺は、白髭神社(現在の青砥神社)の別当職を勤めた。慶応元年(1865)および明治11年、旧本堂の改修が行われ、現在の本堂等は昭和41年4月の新築である。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
●新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起
(三社明神社・現青砥神社)別当観音寺
新義真言宗村内宝持院末、両鎮山慈眼院と号す。天正4年起立開山真盛、本尊十一面観音を安す、弘法作長1尺許。(新編武蔵風土記稿より) (「観音寺|青砥神社の旧別当寺、葛飾区青戸にある真言宗豊山派寺院、荒 …猫の足あと」より)]
カメラ北東方向が観音寺山門です。