香取神社

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マーカーは香取神社です。

江戸御場絵図」(絵図は東西方向を軸に描かれていますので、絵図を回転して南北を軸にすると見やすくなります、南北軸にした絵図で、中央右方向・江戸川左、「下小谷」上に香取社が描かれています。)

香取神社
[下小合村(江戸時代)の鎮守。6月には茅の輪くぐり神事が行なわれる。区内随一のしだれ桜も有名。  (「葛飾区ホームページ – 香取神社」より)]

[香取神社の創建年代は不詳ですが、下総国香取神宮の所役地であった関係から創建したといい、下小合村の鎮守社であったといいます。
新編武蔵風土記稿」下小合村の条に「香取社 村ノ鎮守トス。末社 天神 水神 稲荷 弁天 神主鈴木大和 京都吉田家ノ配下ナリ」、「東京府志料」下小合村の条には「香取神社 村ノ鎮守ナリ。末社 四宇。社地 174坪」とある。小合は古くは古鮎と記され、下総国香取神宮の所役地であった関係から当社も勧請されたのであろう。当社の神職鈴木氏の遠祖は猿俣石在住の占部氏とともに、課取神宮貢税の所役を掌ったと伝えられる。江戸時代には神職鈴木家は京都吉田家の配下であり、文政2年(1819)10月には、吉田家から恒例の神式に風折烏帽子狩衣の着用が許された。(中略)
社殿はしばしば洪水のために大破したが、文政11年12月には神職鈴木大和安治が社殿等を造営し、昭和3年に修築が加えられた。境内社のうち、厳島神社は下小合村加藤伝兵衛の勧請と伝えるが、年代不詳。天満宮は享保16年(1734)地頭松浦市正の勧請であるが、同19年松浦市正は相模国久良岐郡に移封されて、当社は荒廃し、明和4年(1767)2月、一族の松浦越中守信程が当地の領主となって再興し、天明6年(1786)の水害後、当社に遷座した。(葛飾区教育委員会 葛飾区神社調査報告より)  (「香取神社|葛飾区東水元の神社、旧下小合村鎮守 – 猫の足あと」より)]

東水元香取神社 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が香取神社鳥居です。

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