マーカーは万福寺です。
万福寺
[都営地下鉄浅草線西馬込駅の北東、徒歩15分。鎌倉期の武将梶原景時が建久年間(1190年~1199年)に大井丸山(現在の品川区大井)に創建したと伝えれる。しかし火災で消失して現在地に再建されたが、その時期は諸説があり明らかではない。本尊の阿弥陀三尊を清めた湯水は眼病に効くと伝承されて信仰を集めてきた。境内には梶原景時に墓とされる五輪塔や宝篋印塔である日待供養塔、この地に住んでいた室生犀星の句碑などがある。切妻造り茅葺きの山門は情趣を感じさせる。 (「東京ガイド-万福寺」より)]
[社伝によれば、梶原平三景時が建久3年(1192)に源頼朝の命で荏原郡大井郡に堂宇を開いたのが始まり、その後当地に移転したという。山門の扁額は永平寺54世卍海である。(1821年頃)由緒ある寺であるが近年墓地のゴタゴタで評判を落としたのは惜しい。江戸名所図会に描かれた馬込村付近、万福寺、馬込八幡宮、梶原屋敷を見る。面白いことに長遠寺が目立つのにタイトルに入れていないことである。万福寺の右側には庚申灯籠で知られた神明社がある。長遠寺の前の道を池上道としている、当時はその名前で知られていたのだろう。 (「《江戸名所図会に描かれた大田区内の史跡・風景》-慈眼山万福寺」より)]
万福寺・日待供養塔
[寛永15年(1638年)に、馬込村の人々により建てられました。この塔は、近世初期によく見られる形式をした宝篋印(ほうきょういん)塔(注釈)で、相輪が大きく、竿石と基礎の部分が比較的小さなものです。
(注釈)宝篋印塔 宝篋印陀羅尼(だらに)といわれる一種のお経を納めた塔 (「大田区ホームページ:万福寺・日待供養塔」より)]
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右下・「桐谷」右上方向に萬福寺が描かれています。]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「萬福寺馬込八幡宮梶原屋敷」(4-60)、「慈眼山萬福寺解説・右ページ6行目から」(4-59)
萬福寺馬込八幡宮梶原屋敷(拡大図)
[図会上に長遠寺、その左下に馬込八幡宮、図会中央に萬福寺が描かれています。]
カメラ北北西方向が万福寺山門です。