マーカーは久が原東部八幡神社です。
久が原東部八幡神社
[拝殿は文久2年(1862年)に建てられたといわれ、江戸時代末期の神社建築の特色を伝えるものです。入母屋造りの屋根は、現在は銅板にふき替えられています。区指定文化財。 (「大田区ホームページ – 江戸後期の社殿(久が原 東部八幡神社)」より)]
[社伝によりますと、久が原東部八幡神社の草創は天平神護元(765)年。宇佐八幡宮より勧請、創建されたという事で御座います。天正18(1590)年、久ヶ原村が馬込領と六郷領に分けられた際、八幡神社も東西に分けられました。恐らくは、ここから“東部八幡神社”という呼ばれ方になったので御座いましょう。
大田区文化財 社殿
入母屋造。茅葺(火災予防のため銅板で覆う)の社殿は、文久2年(1862)の建築といわれる。社殿は、欅(けやき)造りで、軒廻りは簡素ながら蟇股(かえるまた)、斗栱(ときょう)をもち、周囲に廻縁を備え勾欄(こうらん)をつけている。向拝(ごはい)は銅板葺。厚い茅葺の社殿は区内でも数が少ない。また、花肘木(はなひじき)、宝珠柱(ほうじゅばしら)など神社建築の様式を整えており、屋根は蓑甲(みのこう)の破風口(はふぐち)に見られる深い曲縁など特色もある。
昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会 (「久が原東部八幡神社 – 花林 ~小枝の音色に誘はれて – FC2」より)]
「久が原東部八幡神社 – Google Map 画像リンク」
カメラ西方向が久が原東部八幡神社参道です。
久が原東部八幡神社拝殿前のカメラです。