北見橋跡碑

マーカーは北見橋跡碑です。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切左上・「稲毛道」の品川用水に架かる橋・喜多見橋が描かれています。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。

北見橋跡碑
[昔、ここに品川用水が流れていました。この用水は、江戸時代の初め、玉川上水を分水して品川領戸越まで引いたものです。用賀村は、この用水に三カ所、橋をかけました。弦巻橋中の橋、北見橋です。北見橋を村人は『きたんばし』と呼んでいました。そして、『きたんばし』は寛政6年(1794)石の橋と変わりました。その時この橋を利用するたくさんの村の人々は、橋がいつまでも安全に渡れるよう、ここに供養塔を建てました(今、この供養塔は世田谷区経堂5丁目の長島大榎公園内にあります)。そして、大正3年(1914)この橋は再び改修され、幅の広い橋に生まれ変わりましたが、昭和25~27年にかけて品川用水が埋め立てられた時、その橋もなくなってしまいました。  (「世田谷ふるさとめぐり(用賀・馬事公苑コース) – 用賀ネット」より)]

カメラ南南西方向に北見橋跡碑があります。品川用水は現在の世田谷通りを横断し、そこに北見橋が架かっていました。