天妙国寺

マーカーは天妙国寺です。

五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
品川宿図(拡大元画像・絵図中央に妙国寺と記述されています。)

天妙国寺
[天妙国寺(てんみょうこくじ)は、東京都品川区南品川にある、顕本法華宗の別格山。山号は鳳凰山。江戸時代、真了院、集成院、中正院、安立院、4院の塔頭があった。真了院は真了寺と改称し現存する。他の塔頭は現存せず。
歴史
●1285年(弘安8年)天目は妙国寺を建立する。
●1444年(文安元年)鈴木道胤は大檀那となり、伽藍を整備する。
●1459年(長禄3年)鈴木光純の発願により、五重塔を建立する。
●1614年(慶長19年)台風により、五重塔は倒壊する。
●1634年(寛永11年)徳川家光の命により、五重塔は再建する。
●1702年(元禄15年)大火により、五重塔は焼失する。
●1941年(昭和16年)顕本法華宗は日蓮宗と合同する。妙国寺は日蓮宗本山となる。
●1948年(昭和23年)日蓮宗を離脱する。塔頭真了寺は日蓮宗に残留する。
●1950年(昭和25年)新制顕本法華宗に加入する。
総門・wikipedia-photo

山門・wikipedia-photo

本堂・wikipedia-photo

ウィキメディアコモンズには、天妙国寺の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipedia・天妙国寺より)]

[南馬場から東海道を南下しますと、常行寺(じょうぎょうじ)・長徳寺(ちょうとくじ)・天妙国寺(てんみょうこくじ)と寺院が続いています。『江戸名所図会』に、天妙国寺は挿絵入りで紹介されています。天妙国寺は、鎌倉時代の弘安(こうあん)8年(1285年)に中老僧(ちゅうろうそう)の天目上人(てんもくしょうにん)が開いた寺院です。その後、各時代の有力者に保護され、広い寺域をもつようになりました。室町時代の文安(ぶんあん)元年(1444年)、鈴木道胤(どういん)・光純(こうじゅん)(幸純)父子によって七堂伽藍の建立がはじまり、長禄(ちょうろく)3年(1459年)に落成したと記されています。そのなかに五重塔がありましたが、江戸時代初期の慶長(けいちょう)19年(1614年)8月28日、大風によって倒壊してしまいました。3代将軍徳川家光の命によって、五重塔ほか伽藍が再建されましたが、元禄15年(1702年)2月11日、四谷塩町(しおちょう)から出火の大火により五重塔などを焼失し、その後再建されませんでした。この五重塔の礎石の一部が平成21年に発見され、同年11月に品川区の文化財に指定されました。また、五重塔のほか境内を描いた「妙国寺絵図」や室町時代から江戸時代の古文書は東京都の指定文化財になっています。  (「江戸から明治の品川名所 第6回|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]

天妙国寺資料リンク
江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「天妙國寺」(4-25)、「鳳凰山天妙國寺解説-1・左ページ4行目から」(4-24)、「鳳凰山天妙國寺解説-1」(4-26)、「鳳凰山天妙國寺解説-3」(4-27)、「鳳凰山天妙國寺解説-4・右ページ4行目まで」(4-29)
天妙國寺(拡大図)

狂歌江都名所図会 – 妙国寺(拡大図)

妙国寺 山門 – Google Map 画像リンク」、「天妙国寺 – Google Map 画像リンク

カメラ初期設定方向が天妙国寺山門です。

カメラ西方向が天妙国寺本堂です。

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