平塚橋と品川用水

マーカーは平塚橋の碑です。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右下・「小山」と「戸越」の間に平塚橋が描かれています。]

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。

平塚橋と品川用水
[品川用水の水路と旧中原街道が交差するところに架けられていた橋が平塚橋です。品川用水は、旱魃で悩まされていた品川領二宿七ヶ村が幕府に願い出て、寛文9年(1669)に完成した農業用水です。
水源は玉川上水の境村(現在:武蔵野市境3丁目)で、分水されて現在の三鷹市世田谷区目黒区を通り小山台1丁目で品川区に入ります。さらに、用水の流れは小山2丁目(地蔵の辻)で二股に分かれ、左手は百反通りの方角へ流れ桐ヶ谷・居木橋へ、右手は戸越から大井村までの田畑を潤していました。
農業用水としての役割を担っていた品川用水も、大正から昭和に入ったころには急激に市街化が進み、排水路へと変わり、昭和23年(1948)にはその管理は三鷹町(現:三鷹市)に移管され、その役目を終えました。現在、用水路の跡は道路や下水道として利用されています。
石碑とこの標識は、品川郷土の会はじめ地域の方がたによって建てられたものです。
・二宿七ヶ村とは、北品川宿・南品川宿・戸越村・上蛇窪村・下蛇窪村・桐ヶ谷村・居木橋村・二日五日市村・大井村です。
平成13年10月20日 品川区教育委員会  (「平塚橋の碑 @品川区平塚~荏原 – 墳丘からの眺め」より)]

平塚橋の碑 – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向に平塚橋の碑と「平塚橋と品川用水」案内板があります。