マーカーは御嶽神社です。
御嶽神社
[御嶽神社(おんたけじんじゃ)は、東京都大田区北嶺町にある神社である。
当神社は、天文4年(1535年)頃の創建と言われている。当初は、嶺村(当地の旧名)の小さな神社にすぎなかったが、江戸時代になり天保年間の頃に木曽・御嶽山で修業をした修験者・一山行者が当神社を中興、天保2年(1831年)に現在の大きな社殿を建立してから、江戸や関東地方各地からから御嶽山の信者を中心に参拝者が増えたと言われて、本場・木曽の御嶽山と同等のご利益があるとまで言われた。
江戸時代以降も、昭和から平成の現在も各地の講社が定期的に参拝に来る。
その他に、嶺町地区の村社として地域の氏子からの参拝もあり、現在でも多くの人が参拝に来る神社としても知られる。
一山行者
当神社の中興者、一山行者は俗名は治兵衛といい、相模国津久井村の出身で、後に僧となる。その後、修験者として木曾の御嶽に入り、水行などをして修行に励んだ。そして、一山行者は高名な行者となった。
ある夜、夢によるお告げにより江戸に赴き、御嶽山の教化の地を探していたところ、荏原郡嶺村に御嶽社の小さな社を見て、当地で教えを説くを決め、後に社殿を築く。その後一山行者の教えを聞くため、各地に信者を多く得るようになる。江戸の有力者からの寄進もあり、御嶽神社の名を広めるようになった。一山行者は、1851年に江戸で没した。
御嶽神社鳥居・wikipedia-photo
(wikipedia・御嶽神社_(大田区)より)]
社殿の彫刻(御嶽神社)
[御嶽神社の本殿(画像)の周囲には、みごとな彫刻が施されています。作者は藤原篤意(ふじわらあつおき)と伝えられ、社殿と同時期の天保2年(1831年)に製作されました。浦島太郎、養老の滝、司馬温公甕かめ割りなど和漢の物語、故事にちなんだものです。区指定文化財。 (「大田区ホームページ:社殿の彫刻(御嶽神社)」より)]
カメラ北方向が御嶽神社参道です。
御嶽神社拝殿前のカメラです。