来福寺

マーカーは来福寺です。

来福寺
[真言宗智山派の来福寺は、海賞山地蔵院と号し、正暦元年(990)に智弁が創建、文亀元年(1501)に納経塚から、経を読む仏像(経読地蔵)を安置、現在に至っています。もと馬込長遠寺末、御府内八十八ヶ所霊場26番札所、玉川八十八ヶ所霊場74番札所、東海三十三観音霊場2番札所です。
来福寺の縁起
当寺は正暦元年(990)藤原兼家摂政の時、智弁という僧が開かれたものである。それから60年余りして世の中の乱れと共に当寺も衰微した。文亀元年梅巌という僧が、昔右大将源頼朝が戦没諸兵追善のために写経を埋めたといわれてる納経塚(大井1丁目庚申堂)の傍らを通られ、その塚の中から読経の声をきかれて仏像を掘出し、この寺に安置したのである。その為にこの御本尊を別名経読地蔵を云われるようになった。この寺は古くは山号を海上山、海照山と云い、又境内に天満宮があったので天神山と呼ばれていた。当寺の古い特別信者に梶原一門があり、境内に権五郎景政平三郎景時の嫡子源太景季の寄進された梶原松、或いは延命桜等があった。当時より桜の名所として知られ、現在も境内に雪中庵蓼太の「世の中は三日見ぬ間の桜かな」という句碑が残っている。(品川区の文化財より)  (「猫のあしあと」より)]

[来福寺は、鎌倉時代の武将梶原景季(かじわらかげすえ)に縁があると伝えられ、一族の墓所と伝える「梶原塚」(現在の梶原稲荷神社)や「梶原松」といった名が残っています。本尊は大井1丁目44番の経塚(現在の庚申堂)の土の中から読経が聞こえ掘り起こしたとされる延命地蔵で、別名経読地蔵(きょうよみじぞう)と呼ばれています。また、江戸時代には桜の名所として知られ、本尊に因んだ「延命(えんめい)桜」が有名でした。来福寺の挿絵には、桜の名所らしく、雪中庵蓼太(せっちゅうあんりょうた)の句「世の中は 三日みぬ間に さくら哉」が添えられています。  (「江戸から明治の品川名所 第7回|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右下・「大井」左上方向、「松平土佐守」上に来福寺が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号2/7・絵図四つ切右上に「来福寺」が描かれています。)

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・来福寺

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「来福寺」(4-36)、「海賞山来福寺解説・左ページ中程より」(4-35)

来福寺 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が来福寺参道です。

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