来迎院

マーカーは来迎院です。

来迎院(らいごういん)
[・俗称:お茶屋寺
天台宗
・寺伝によれば、南品川「常行寺」の住僧尊栄法印が、969年に慈覚大師の命を受けてこの地に鹿嶋神社勧請し、同時に当寺を建立したことに始まる。
安和2年(969)南品川常行三昧寺の尊栄住職が、常陸鹿島神宮から勧請し、慈覚大師円仁作の薬師如来像を本地仏として、「鹿島示現山常住鶴林寺観音来迎院」という名の寺を、大井関が原(東大井6丁目)に建立したことに始まる。鎌倉時代になって衰え無住になっていたのを、貞和3年(1347)了覚法印が再興し現在地に移した。その時に示現山常林寺観音院と改称した。
江戸時代になって3代将軍徳川家光が、正保2年(1645)境内に大井御殿を新造し、鷹狩の時の休息所にしたので、俗に「茶屋御殿」と呼ばれ、寺も「お茶屋寺」と呼ばれていたという。境内は桜樹が多く植えられていたので桜の名所として賑わい、たびたび将軍の来迎も得て、その尊崇を受けてきたと伝えている。家光は薬師如来を厚く敬い、日光菩薩像、月光菩薩像、十二神将像を奉納している。
天保4年(1833)には上野寛永寺塔頭涼泉院が兼務することになり、鹿島山来迎院と改称、明治新政府神仏分離令により無理やり別れさせられ(鹿嶋神社と来迎院に)今日に至っている。
明治8年から4年間「大井第一小学校」が置かれていた。
来迎院の本堂寛文7年(1667)の建築で東京最古と伝わるが、浅草寺六角堂は、元和4年(1618)と50年ばかり古い。  (「来迎院(らいごういん) – しながわ観光百科」より)]

[さらに光福寺から南に200メートルには鹿嶋大明神社(現在の鹿嶋神社)と別当の常林寺(じょうりんじ)があります。鹿島神社は安和(あんな)2年(969年)に常陸国の鹿島の御神を勧請したと伝えています。
常林寺は、天保(てんぽう)4年(1833年)に現在の来迎院(らいごういん)と改称しました。ここも江戸時代には桜の名所で、「鹿島の要(かなめ)桜」や「楊貴妃(ようきひ)桜」と名づけられた名木がありました。  (「江戸から明治の品川名所 第7回|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右下・「大井」左に常林寺が描かれています。]

来迎院 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向が来迎院山門です。

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