梅屋敷商店街

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    梅屋敷商店街
    [江戸時代、このあたりは梅林が広がる農村でした。今の第一京浜東海道、休憩所としていくつかの店が立ち並び、海苔、梅干し、わら細工などの名産品が売られていました。和散中という薬屋が作った梅園が人気を博し、将軍や後の天皇も訪れる名所となりました。これが今の蒲田の梅園(聖跡蒲田梅屋敷公園)です。明治時代に梅屋敷駅が開業すると多くの店舗が並ぶようになり、昭和初期には梅屋敷梅交会が設立されました。
    やがて戦争が始まり、東京大空襲で打撃を受けるも、戦後みごとに復興し、昭和56年には、地域密着の温かみを評価され、東京都「マイタウン構想」の一環である「モデル商店街」の第一号に指定されました。コミュニティセンター、カラー舗装、アーチ、街路灯、放送設備などを整備し、地域コミュニティの中心となった商店街は、人が通れないほどの賑わいをみせ、以降、今に至るまで多くの方に親しまれています。
    宝永年間(1704~1710年頃) – 東海道の休憩場所であったこの場所(蒲田の梅園)に「和中散」という薬を売る3軒の店が登場
    文政初期(1820年頃) – 「和中散」の山本忠左衛門のせがれ久三郎が屋敷内に多くの梅の木を植え茶屋を開業、「梅屋敷」と呼ばれ人気を博す。
    明治34年2月1日 – 京浜電気鉄道 梅屋敷駅開業
    昭和57年 – 愛称「ぷらもーる梅屋敷」が決定。駅に近い場所から1番街から5番街とする
    昭和58年 – コミュニティセンター完成
    昭和59年 – 555mのカラー舗装、3つのアーチ、36基の街路灯などが完成。5月20日オープニング・フェスティバル開催。155店舗  (「梅屋敷商店街の歴史 – ぷらもーる梅屋敷商店街」より)]

    [商店街にある約140軒の店舗うち、いわゆるチェーン店はおよそ3分の1だといいます。
    時代とともに「生鮮三品」といわれる青果店、鮮魚店、精肉店が減ってきたといいますが、今も二代目や三代目ががんばって商店街を盛り上げています。
    青果店「レ・アルかきぬま」の三代目、柿沼さんは野菜や果物の目利き。「いいものは光ってますよ」。毎朝4時に太田市場へ出かけ新鮮なものを取り揃えます。「10月は柿、早生みかん、白菜、大根、ネギなんかがおいしくなるね」。こちらでは、自家製きゅうりのぬか漬けも人気です。
    有機無農薬粉使用、無添加手打ち麺専門店「さぬきや」は、つるつるしこしこのうどんのメニューが豊富です。奥様が定番「冷しさぬき君」を運んで来てくれました。玉子や大根おろしも有機。揚げ玉もだし入りの自家製。めんはもちろん、つゆと絡んだ揚げ玉のおいしさにびっくり!
    「ミートショップ結城屋」のみなさん。「このへんのお客様は目も舌も肥えていらっしゃいます。いいものを買う人は専門店にいらっしゃる。その期待に応えたいですね」と語るのは二代目の宮田さん(右)。気になる「焼豚」はこちらをどうぞ!
    常時80種類ものお惣菜が並ぶ「大越」の高瀬さんご夫妻は三代目。「10月を過ぎると新豆の季節。香りが高く柔らかい豆で煮豆を作ります。おいしいですよ」とご主人。「商店街は競争相手が多いから、いいものが安くなるんでしょうね」と語ります。「いまだに日々勉強です」と奥様。  (「ぷらもーる梅屋敷商店街 – Myhome@nifty 」より)]

    ぷらもーる梅屋敷商店街ホームページ

    カメラ位置は梅屋敷商店街梅屋敷駅口で、カメラ西方向が梅屋敷商店街です。

    カメラ北北西方向が青果店「レ・アルかきぬま」です。(大田区大森西「新鮮市場 レ・アルかきぬま」 – 東京都中央卸売 …)
    レ・アル かきぬま – Google Map 画像リンク

    カメラ南南東方向が「大越」です。(大越 – 梅屋敷/デリカテッセン | 食べログ)
    大越 – Google Map 画像リンク

    カメラ南方向が「ミートショップ結城屋」です。
    ミートショップ結城屋 – Google Map 画像リンク

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