マーカーは海晏寺です。
五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
品川宿図(拡大元画像・絵図中央右方向、「海晏寺門前町」と「大井村字御林町」の間、上方向に海晏寺と記述されています。)
海晏寺
[海晏寺(かいあんじ)は、東京都品川区南品川五丁目にある曹洞宗の寺院。建長3年(1251年)開山。本尊は聖観音菩薩、山号は補蛇落山。この寺は、鎌倉時代幕府5代執権北条時頼が開基となって宋から渡来した禅僧蘭渓道隆の開山により臨済宗の寺院として創建されたと伝えられる。本尊の観音像は、品川沖でかかった鮫の腹から出た物と伝えられ、一帯の「鮫洲」という地名の由来ともなっている。かつては多くの末寺を有したが衰退し、1593年(文禄2年)徳川家康が天叟慶存を招いて再興し、現在の曹洞宗の寺院となった。江戸時代「御殿山の桜」とならび紅葉の名所として知られていた。
海晏寺本堂・wikipedia-photo
(wikipedia・海晏寺より)]
[品川宿での秋の行事について、夏の巻と同様に天保9年(1838)に出版された『東都歳時記』から10月から11月にかけての行事を紹介しましょう。
品川宿の秋といえば、江戸市中から紅葉狩に訪れる行楽客で賑わいます。見頃は立冬(11月7日)より7日から10日過ぎ頃で、品川宿の中でも東海寺や海晏寺の紅葉は有名でした。海晏寺の後方は台地で、数多くの紅葉が植えられていました。その美しさは俗に「千貫紅葉」と呼ばれ、俗謡にも「あれ、見やしゃんせ海晏寺、真間や高尾や竜田でも、及びないぞよ紅葉狩」とあり、太夫よりも美しいと謡っています。ここに文人たちが集まり、紅葉の樹間で、酒を温めて、詩作をしたといわれています。 (「品川区ホームページ – 東海道品川宿のはなし 第14回」より)]
[『江戸名所図会』の挿絵は、品川寺(ほんせんじ)、海雲寺(かいうんじ)の千躰荒神堂(せんたいこうじんどう)、海晏寺(かいあんじ)、海晏寺紅葉見之図(みのず)と続きます。海晏寺は、建長3年(1251年)に鎌倉幕府の執権・北条時頼(ときより)が建長寺を開いた渡来僧(とらいそう)・蘭溪道隆(らんけいどうりゅう)を開山として創建された寺院です。江戸時代、紅葉の名所として知られる海晏寺は、絵師・歌川広重らによって描かれた浮世絵があります。 (江戸から明治の品川名所 第6回|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]
南品川鮫州海岸
[江戸湾沿いには、いくつかの漁業専業者集落があり、これを猟師町(りょうしまち)または浦といいました。品川地域においては、品川浦の南品川猟師町と、御林浦の大井御林猟師町の2つの猟師町がありました。
南品川猟師町は当初南品川宿内にありましたが、のちに今の南品川1丁目から目黒川に沿ってつきだした帯状の土地に移りました。
大井御林猟師町は南品川と浜川の間にあり、江戸幕府の直轄林だった御林を開発してつくられたことからその名がついたといわれています。
品川浦・御林浦は御菜肴八ヶ浦(おさいさかなはちかうら)の一つとして、収穫した魚などを江戸城に献上する義務がありました。御菜肴八ヶ浦とは、元浦の本芝・金杉をはじめとして、品川・御林・羽田・生麦・神奈川・新宿の浦々で、カレイ・アイナメ・車海老などをはじめ、様々な魚介類の収穫がありました。
品川は、また、海苔の産地でもありました。品川浦では、延宝年代から海苔の養殖もおこなわれるようになり、19世紀初頭には養殖が大森・羽田方面にまで広がっていきました。 (「東海道品川宿のはなし 第2回|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]
[南品川猟師町は、洲崎(すさき)(冽崎)とも呼ばれ、現在の東品川1丁目の一部で、目黒川河口の砂洲(さす)(寄洲(よりす))にできた町です。この町の誕生は江戸時代の明暦(めいれき)の頃(1655年頃)で、その昔は兜島(かぶとじま)と呼ばれ、人家は無かったといいます。漁業を生業として、幕府に対して魚介類を納める御菜肴八ヶ浦(おさいさかなはちかうら)のひとつでした。また、猟師町の地先は、江戸時代中頃から埋立が行われ、新しく開かれた土地ということで「南品川新開場(しんかいば)」といい、この開墾に着手した南品川宿の名主利田吉左衛門(かがたきちざえもん)の姓をとって「利田新地(かがたしんち)」と呼ばれていました。幕末、この地の東側に「御殿山下砲台」が築造されました。現在の品川区立台場小学校周辺です。『江戸名所図会』には、南品川猟師町と利田新地の名所として、洲崎弁天と寄木(よりき)明神社の2ヵ所が挿し絵とともに紹介されています。 (「江戸から明治の品川名所 第4回|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号2/7・絵図中央上方向「海雲寺」右に「海晏寺」が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [6]拾六下」(コマ番号5・地図中央左方向に海晏寺が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「海晏寺」(4-31)、「海晏寺紅葉」(4-32)、「補蛇落山海晏寺解説-1・左ページ左より4行目から」(4-30)、「補蛇落山海晏寺解説-2」(4-33)、「補蛇落山海晏寺解説-3」(4-34)、「補蛇落山海晏寺解説-4・右ページ中程過ぎまで」(4-35)
海晏寺(拡大図)
海晏寺紅葉(拡大図)
狂歌江都名所図会 – 海晏寺(拡大図)
絵本江戸土産 – 品川海晏寺の紅楓(拡大図)
絵本江戸土産 – 南品川鮫洲大森(拡大図)
歌川広重・無題 江戸下町名所景 海晏寺紅葉(ボストン美術館)
名所江戸百景[歌川(安藤)広重](南品川鮫洲海岸 (現在の東大井一丁目付近。かつては海だった)・wikipedia-photo)
広重『東海道五十三次図 行書版 品川 鮫洲朝之図』(wikipedia-photo)
『東海道五十三次(隷書東海道)』より「東海道 二 五十三次 品川 鮫洲の茶や」(wikipedia-photo)
カメラ西南西方向が海晏寺山門です。
海晏寺本堂前のカメラです。