マーカーは蒲田の梅園(聖跡蒲田梅屋敷公園)です。
蒲田の梅園(聖跡蒲田梅屋敷公園)
[聖跡蒲田梅屋敷公園(せいせきかまたうめやしきこうえん)とは、東京都大田区蒲田にある和風庭園である。その名の通り多くの梅が植えられている。江戸時代に薬屋を営んでいた山本久三郎が、文政年間に梅を始めとする多くの木を植え、茶屋を開いたことが起源とされている。明治天皇がしばしば訪れたと記録されている。現在は聖跡蒲田梅屋敷公園になっている。
聖跡蒲田梅屋敷公園・wikipedia-photo
歌川広重「名所江戸百景」に描かれた「蒲田の梅園」(wikipedia-photo)
(wikipedia・聖跡蒲田梅屋敷公園より)]
[品川宿・川崎宿間には、和中散という旅の常備薬を売る店が3軒あり、北蒲田村にあった店では梅樹を植え茶店も営業していました。これが後に梅の名所と呼ばれる「梅屋敷」で和中散売薬所の跡です。 (「品川区ホームページ – 東海道品川宿のはなし 第9回」より)]
[文政(ぶんせい)年間(1818年から1830年)の初めに、和中散(わちゅうさん)という道中常備薬を商う山本久三郎が、梅の名木を集め、東海道を往来する旅人を相手に茶店を開きました。かつては蒲田梅屋敷として、亀戸の梅林とともに江戸近郊の梅の名所の一つとして有名になり、広重の浮世絵にも描かれました。現在公園になっているところは、その屋敷跡の一部です。 (「大田区ホームページ:梅屋敷と和中散売薬所跡」より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「蒲田里梅園行方弾正宅跡」(4-75)、「蒲田梅蒲田邑解説・左ページ左から3行目より」(4-71)、「蒲田梅蒲田邑-2、行方弾正忠明宅地・蒲田梅蒲田邑-2解説、行方弾正忠明宅地解説は右ページ6行目まで」(4-76)、「大森和中散」(4-74)
蒲田里梅園行方弾正宅跡(拡大図)
大森和中散拡大図)
「東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「蒲田邑看梅」(1-30)
蒲田邑看梅拡大図)
狂歌江都名所図会 – 蒲田梅林(拡大図)
絵本江戸土産 – 蒲田の梅園(拡大図)
「聖蹟蒲田梅屋敷公園 – Google Map 画像リンク」
カメラ北西方向が蒲田の梅園入り口です。