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関連リンク – 間部越前守詮房上屋敷跡、鯖江藩間部下総守上屋敷跡、鯖江藩間部家中屋敷跡、鯖江藩間部家浜町下屋敷跡、鯖江藩間部家角筈下屋敷跡
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP834・コマ番号461/553の鯖江藩上屋敷の変遷について記載されています。P838・コマ番号463/553「下屋敷 品川大井」がこの地になります。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右下・池上道と稲毛道の二又の右上方向に間部若狭守と描かれています。]
越前鯖江藩間部家下屋敷跡
[品川区教育委員会の説明板によると
『この地より高台に向かう一帯には、越前国(現・福井県)間部下総守の下屋敷があった。もともとは、万治元年(1658)に仙台藩伊達家が麻布下屋敷を返上して、新たに大井村に拝領した下屋敷であった。この屋敷内には高尾太夫の器を埋めたという塚があり、その上には一株の枝乗梅があったと伝えられている。元文2年(1737)に、鯖江藩間部家大崎屋敷と伊達家品川屋敷の一部を交換し、間部家の下屋敷となった。その後、一部は再び伊達家の所有となった。
安政2年(1855)ごろ鯖江藩主間部下総守栓勝は5万石の家禄があり、上屋敷は常盤橋御門内にあった。』 (「「大井公園内古墳」 | 古墳なう – FC2」より)]
「2014年06月06日 : henkyのブログ – livedoor Blog」
資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号2/7・絵図中央右上方向に「間部下総守」と描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [6]拾六下」(コマ番号5・地図左中央付近に間部下総守下屋敷が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [5]拾六下」(コマ番号140に松平陸奥守 抱屋敷、コマ番号141に松平陸奥守、コマ番号142に間部下総守下屋敷その左に松平陸奥守下屋敷と描かれています。
「旧越前鯖江藩間部家下屋敷跡 – Google Map 画像リンク」
カメラ北北西方向に越前鯖江藩間部家下屋敷跡の案内板があります。
越前鯖江藩間部家下屋敷跡案内板(Google Map 画像)