釜屋跡

マーカーは釜屋跡案内碑です。

釜屋跡
[南品川にあった釜屋は立場茶屋(宿場間で旅人がお茶や食事をして休息する場所)でしたが、本来の休息所から旅籠に発達し、幕末には本陣のような構えに改造し幕府御用宿となりました。
慶応3年10月21日(1867年)に新撰組副長の土方歳三等が訪れた記録が残っており、翌4年1月15日(1868年)には鳥羽伏見戦から江戸に戻った新選組隊士たちがしばらく滞在しました。
現在はマンションになっています。 (「釜屋跡 | しながわ観光協会」より)]

[江戸幕府御用宿 釜屋跡
南品川 には旅人 が休息をする「建場茶屋 」が、数多くありました。江戸に最も近い品川宿は、江戸を立つ旅人達を見送る為の宴会の場であったり、また参勤で江戸に入る大名が、旅装束から江戸屋敷に入る支度を整える場所でもあり、大変賑わいました。
中でも品川寺 門前の「釜屋」は、海をのぞむ風光明媚な茶屋であり諸大名にも愛され、料理を供するようにもなりました。
慶応三年(一八六七)には「幕府御用宿 」として、多くの幕臣達が東海道を上下する為に利用しております。
同年十月二十一日、新選組副長・土方歳三と副長助勤・井上源三郎が、新入隊士や故郷の支援者達、計三十一名で休息した記録が残されております。
また、慶応四年正月十二日~二十三日、鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸に戻った新選組の「品川屯所」となっておりました。
この品川の地で、幕末の風を感じて下されば幸いです。
平成二十九年(二〇一七)九月吉日
青物橫丁 商店街 振興組合  (「江戸幕府御用宿 釜屋跡 – Monumento(モニュメント)」より)]

幕府御用宿「釜屋」跡 – Google Map 画像リンク」   

カメラ東北東方向に釜屋跡案内碑があります。

釜屋跡案内碑(Google Map 画像)

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