三左衛門水車跡

マーカーは三左衛門水車跡です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年で見ると、天神社記述右下に三左衛門水車がありました。

三左衛門水車跡
[北澤川は、もともとは目黒川の支流の小さな川でしたが、1658年万治元年に玉川上水からの分水を認められ「北澤用水」となって、上北沢村・赤堤村・世田谷村・松原村・代田村の灌漑用水として田畑を潤してきたのだそうです。
環状八号線「さかいばしほどうきょう」(Google Maps)を渡って、都営上北沢アパートの脇を抜けて、世田谷区杉並区の境界線上を通って中央自動車道方向へ向かいます。
水車跡の場所もこのあたり。「ちょっと待ってて。」とGPS機能機器搭載の別宮氏が路地奥に走り込みます。
待ってるみんなが、道路傍でがやがや話していましたら、まん前のお家の方から不審に思われて……
しかし、ここは保存の会きっての広報の達人、米澤大人。
さすが! 取水口の話から水車跡の話まで聞き出してしまいました。
・・・
で、またまた元の道を戻って歩いていたところへ、さきほどのお家のご隠居さんが自転車で追いかけてこられて「水車跡の場所、わかりますか?」
ご隠居さんにご案内いただいて「三左衛門水車跡」にいきました。
ちょっと歩くと住宅がなくなって荒れ地?原っぱ?なんだか打ち捨てられた郊外の広場っぽいところに、傾いた屋根の納屋のような小屋掛け。
ここが水車のあった場所なのだそうです。
その傍らには、ずっとここで見守ってきたんだろうなあ、と古の空気を醸し出す三体の庚申さんの祀られているお堂。(高井戸二丁目二番所在民間信仰石造物)  (「2010年06月 「『北澤川源流を歩く』の下見」」より)]

東京府15区8郡時代の町村区分図」 – 「豊多摩郡高井戸町全図]
豊多摩郡高井戸町全図の中之橋の左方向・北澤分水右、中久保451番地に水車記号(三左衛門水車)が記されています。

庚申堂 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向の小屋が三左衛門水車跡で、その右に高井戸二丁目二番所在民間信仰石造物があります。