三木露風旧居跡

マーカーは三木露風旧居跡です。

三木露風旧居跡
[童謡「赤とんぼ」で著名な近代詩人三木露風(本名操。1889(明治22)年~1954(昭和39)年)が、1928(昭和3)年から亡くなる昭和39年まで居住していた。
露風が移住した当時の三鷹は、世帯数1300、人口は8000人弱の農村であった。自然をこよなく愛した露風が居住したこの地は、小高い松林の丘(現・三中)を背に桑畑や雑木林におおわれ、前面には牟礼田んぼが続く、田園地帯であった。
この地の春から夏にかけての霞がかかる情景を好んでいた露風は、生家である龍野町(現・兵庫県龍野市)の城が霞城と呼ばれていたことからも、新築した家を「遠霞荘」と名づけていた。その家は、平成2年まで現存していた。回りを生け垣で囲み、玄関脇には竹垣を配し棕櫚(しゅろ)や松などの木々を植えた。松の木だけは、今も残っている。
昭和39年には住居に近い高山小学校の校歌を作詩したが、その年に下連雀で遭った交通事故のため75歳で死去した。墓は牟礼の大盛寺墓地(Google Maps)内にあり、三鷹市文化財に指定されている。
    平成12年(2000)1月31日  三鷹市教育委員会  (「三木露風旧居跡 – FC2」より)]

三木露風旧居跡・終焉の地 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が三木露風旧居跡です。