マーカーは三楽の森です。
三楽の森
[滄浪泉園を出て連雀通りを西に向かい、小金井四小の手前を左に入る。左に三楽公園を見て、その先の三楽集会所の横を入ると庭門が見えてくる(小金井市貫井南町3-6-18)。庭門から先が三楽公共緑地で、NECの設立発起人の一人であった前田武四郎の、三楽荘という名の別荘の跡である。
庭門を入ると、今は周辺を雑木林で囲まれた芝地だけがあり、別荘時代の建物らしきものは見当たらない。入園は無料だが昼間のみ開放、火曜は休園になっている。ここは、国分寺崖線上にあり、貴重な自然環境を保存するため、芝地以外への立ち入りは禁止されており、昆虫や小動物のための仕掛けも設けられている。
前田武四郎は大正8年にこの地を入手したが、郷里新潟の醤油醸造の旧家を買い取って、巨大な梁を使った別荘を建てたのは大正13年になってからである。当時の敷地は1万坪あり、北は連雀通り、南は斜面の途中まで、西は三楽坂辺りまでが敷地の範囲であったという。主屋は東向きで台地上の西側にあり、連雀通りの表門から針葉樹の中を車道が弧を描くように主屋の玄関に通じていたようである。南側は斜面まで芝生でおおわれた明るい庭で、東南には築山が設けられ四阿が建てられていた。ここから南を望むと、多磨霊園西側の浅間山が見えることになるが、四阿のある築山を浅間山の標高80mに合わせようとしたらしい。眺望に優れていること。それが、この地を別荘地に選んだ理由だったかも知れない。 (「滄浪泉園・三楽の森・美術の森 – 夢七雑録 – Gooブログ」より)]
「タチオンWalking(ウォーキング)-はけの道・滄浪泉園・武蔵野公園」
三楽の森正門のストリートビューです。
庭門内・三楽の森案内板前のストリートビューです。
三楽の森内のストリートビューです。