マーカーは上井草庚申塔・観音塔です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
上井草庚申塔・観音塔
[ここに建立されている石塔は聖観音塔と庚申塔です。いずれもかっては現在地よりやや西方の道沿いにありましたが区画整理のため大正14年この場所に移したものです。
向って右側の聖観音は「富士向観音」の名で親しまれたもので、寛延2年(1749)11月15日の造立です。観音様は現世利益を本願とし、種々の相に身を変えて衆生の悩みを救済してくれるといわれ、広く信仰されました。観音の中でも聖観音は最もポピュラーなもので、この塔もそうした信仰を持った観音講か念仏講と思われる講中によって造立されたものです。
左側の庚申塔は享保7年(1722)10月吉日の造立です。庚申信仰は庚申の夜に眠ると体内の三尸の虫が罪を上帝に告げ、人の寿命を短かくするので、この夜は徹夜をすべきであるという道教説に由来するといわれてます。信仰活動の中心は庚申の夜に、いわゆる庚申侍をすることで、そのために各地に庚信講がつくられました。庚申塔は講の成立とか行事の成就などの時に供養としてつくられることが多かったといわれて、この塔も講中の人々によって、そうした折に造立されたものと思われます。
なお、2つの塔の銘文にある「遅野井村」は上井草村の別称です。また「同行22人」「講中に11人」という数字は、区内でも比較的大きな講の存在を示すものといえます。
この石塔はかっての上井草村の民間信仰を伝える貴重な文化財です。大切に守りつづけたいものです。
昭和63年3月 (「113 民間信仰石塔(上井草二丁目) 【信仰】(上井草2丁目17番 …」より)]
カメラ北東方向が上井草庚申塔・観音塔です。