マーカーは丸彫青面金剛庚申塔です。
丸彫青面金剛庚申塔
[区内には130余りのhttps://ja.wikipedia.org/wiki/庚申塔”>庚申塔があります。中でも、この庚申塔は、1本の石から青面金剛立像(しょうめんこんごうりゅうぞう)を丸彫りした大変珍しいものです。この庚申塔は、高さ148センチメートル、享保(きょうほう)12年(1727年)に伊保ヶ谷戸(下石神井付近の旧字名)の講中の人たちによって建てられました。憤怒(ふんぬ)の相そうをした青面(しょうめん)金剛が台座部分に浮き彫りされた邪鬼(じゃき)を踏みつけ、その下には青面(しょうめん)金剛の使いを表す「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿(さんえん)が浮き彫りされています。このように豪華で賑やかな飾りつけは、江戸時代中期の庚申塔の特徴です。
現在でも伊保ヶ谷戸の庚申講の人たちによって、庚申待ちの行事が年に数回行われています。
昭和40年ごろ、この庚申塔に自動車が衝突し、塔は二つに折れてしまいましたが、講の人たちによって修復され、現在も大切にされています。
平成6年度区登録
※注釈:庚申信仰
中国大陸から伝わったとされる庚申信仰では、庚申の日に寝ると、人の体内にいる三尸虫(さんしちゅう)が人体を抜けて天帝(てんてい)にその人の悪事を告げると信じられていました。庚申の日とは、十干(じゅっかん)の庚(かのえ)と十二支の申(さる)を組み合わせた日にちを表現したもので、60日ごとに巡ってきます。そのため、この日は三尸虫が身体から抜け出さないように、信仰する人たちは一晩中起きていなくてはなりません。江戸時代には、皆が集まって起きていようと講が結ばれました。酒宴などの行事も行われるようになり、庶民の間に信仰が広がりました。講中では、延命招福を祈るとともに、連帯を図るため、庚申塔が造立ぞうりゅうされました。
丸彫青面金剛庚申塔(画像リンク)、庚申塔の各部名称(画像リンク) (「丸彫青面金剛庚申塔 (まるぼりしょうめんこんごうこうしんとう):練馬区公式ホームページ」より)]
「丸彫青面金剛庚申塔 – Google Map 画像リンク」
カメラ南西方向に丸彫青面金剛庚申塔があります。
丸彫青面金剛庚申塔(Google Map 画像)
丸彫青面金剛庚申塔(Google Map 画像)