マーカーは久我山一丁目民間信仰石塔です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
久我山一丁目民間信仰石塔
[ここに建立されている石塔は、安永5年(1776)銘の庚申塔と享保15年(1730)銘の観音塔です。
庚申信仰は、「長生きするためには、庚申の夜は身を慎しみ、諸善を行い、徹夜をすべきである」という中国の道教説から始まったようです。それが日本に伝わってからは、中世以降仏教や神道の信仰と習合して庶民の間にひろまりました。江戸時代には、本尊を青面金剛を本尊とした石塔を造立しとし、悪疫退散、村内安全等を祈願を行うことが盛んになりました。
この庚申塔は、この辺りが久我山村字原といわれた頃、当場所より少し西寄りの井ノ頭道の交差点に建立されたものです。ところが戦争中周辺が軍用地となり、塔の管理も十分に行われないまま放置されてきましたが、昭和52年1月地元有志者の奉仕により、この地に安置されました。
なお、観音塔は昭和55年4月この近くで発見され、安置されたものです。この観音塔造立の目的は、刻字の一部が欠けているため不明ですが、彫られている観音は如意輪観音で、衆生の欲望と万苦を救済する菩薩とされているものです。
私たちもこのような文化財を、一層大切に守りつづけたいものです。
昭和56年2月15日 (「36 民間信仰石塔(久我山一丁目) 【信仰】(久我山1丁目3番2号 ..」より)]
カメラ北東方向が久我山一丁目民間信仰石塔です。
久我山一丁目民間信仰石塔(Google Map 画像)
久我山一丁目民間信仰石塔(Google Map 画像)
久我山一丁目民間信仰石塔案内板(Google Map 画像)