マーカーは八成所在道標付石造物(井草2丁目24番6号)です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
八成所在道標付石造物(井草2丁目24番6号)
[民間信仰石塔
堂内の石塔は、寛保元年(1741)銘の庚申塔と寛政5年(1793)銘の念仏供養塔です。
これらは、この辺りが武州多摩郡下井草村字八成(はちなり)といわれた頃、地域の人々によって悪疫退散・村内安全を祈願して建立されたものといわれています。
庚申信仰は、「60日に一度廻ってくる庚申の夜には身を慎しみ、徹夜をする」という中国に道教説が日本に伝わり、仏教と神道の信仰を習合して庶民の間にひろまったもので、江戸時代には、青面金剛(しょうめんこんごう)を本尊として、不見(みざる)、不聞(きかざる)、不言(いわざる)の三猿(さんえん)が彫られた庚申塔の建立が盛んになりました。
念仏信仰は「南無阿弥陀仏」と唱え、阿弥陀仏を信じれば浄土に導かれるという信仰で、念仏供養塔も各所に多く建立されています。
石塔の側面にはそれぞれ、庚申塔には「右 たなか道」「左 志やくじ道」、念仏供養塔には」「右 新高野へのミち」「左 中野へのミち」等と彫られており、近隣の田中村、石神井村、中野村などへの道標の役割も果たしていました。
八成地域は中野~阿佐ヶ谷~石神井~保谷~所沢を結ぶ所沢道の道筋にあたり、この場所は、かっての所沢道と府内十七番札所東高野山長命寺(現練馬区)への巡礼道の交差点で、往来の人も多く、近くには茶屋もありました。
なお、堂外にも正面に道標を刻んだ石塔があります。
道標銘付の石塔群としては、区内でも珍しく、八成と呼ばれていた当時の往来の姿を示す貴重な資料です。
平成20年3月31日 杉並区教育委員会 (「井草庚申塔・供養塔」画像より – 画像取得先「各地の庚申塔(杉並区-17)」)]
八成所在道標付石造物(井草2丁目24番6号)案内板(Google Map 画像)
カメラ東方向が八成所在道標付石造物です。(杉並区井草2丁目24番6号)
八成所在道標付石造物祠(井草2丁目24番6号)(Google Map 画像)
八成所在道標付石造物(井草2丁目24番6号)(Google Map 画像)