井荻町役場前案内板

マーカーは井荻町役場前案内板です。

東京府豊多摩郡井荻村 (13B0080001) | 歴史的行政区域データセットβ版

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1917~1924年の地図に「井荻町土地区画整理事業」以前の井荻村、1927~1939年の地図には「井荻町土地区画整理事業」中の井荻町、1944~1954年の地図には「井荻町土地区画整理事業」後の杉並区・井荻地区が描かれています。

井荻町役場前
[この地には昭和7年10月1日杉並区が成立するまで、井荻町役場が置かれていました。
明治22年市制・町村制の施行に伴い「上井草村」・「下井草村」・「上荻窪村」・「下荻窪村」の4村が合併し、井草村の井と荻窪の荻をとり「井荻村」が誕生しました。井荻町役場の前身となる井荻村役場は当初、ここより荻窪駅よりの青梅街道沿いに置かれましたが、明治32年2月にこの地に移転しました。
誕生当時の井荻村は、人口2,925人の農業を中心とした典型的な西郊の一農村でした。しかしその後の交通機関の発達もあり、大正12年の関東大震災以降、都市近郊の住宅地として人口が急激に増加し、大正15年7月1日、村は町制を布き井荻町となり、同年10月には、二階建ての新庁舎が落成しました。この年の人口は13,514人でした。
人口の流入によって、村から町へ発展する中で、都内でも有数の大規模な土地区画整理が行われました。また、町営水道の敷設、西武線の誘致などが行われ、現在のこの地域の基礎が築かれました。
区になる直前の人口は25,968人になっていました。
昭和7年10月、町は「和田堀町」・「杉並町」・「高井戸町」と共に杉並区として東京市へ編入され、井荻町役場はその役割を終えました。
平成8年3月  (「147 井荻町役場前 【その他】(桃井2丁目3番5号)|杉並区公式ホームページ」より)]

杉並の旧20ヶ村(「荻窪教会通り(荻窪風土記-天沼の弁天通り) – 井伏鱒二と荻窪風土記と」より)]

旧井荻町役場跡板碑 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向・杉並区立桃井第一小学校標柱右に井荻町役場前案内板があります。

井荻町役場前案内板(Google Map 画像)