マーカーは享保七年銘道標付庚申塔です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
享保七年銘道標付庚申塔
[この庚申塔は、道標付庚申塔として、区内で最も古く、享保7年(1722)に造立されたものです。
庚申信仰は、「長生きするためには庚申の夜は身を慎しみ、諸善を行い、徹夜をすべきである」という中国の道教説から始まったようです。それが日本に伝わってからは、中世以降仏教や神道の信仰と習合して庶民の間にひろまりました。
江戸時代には、ここに見られるような青面金剛を本尊として邪鬼を踏まえ、不見、不聞、不言の三猿、二鶏等が彫られるようになり、石塔を造立し、悪疫退散、村内安全等の祈願を行うことが盛んになりました。
この庚申塔は、道標として側面に、「これよりみぎいのかしらミち」・「これよりひだりふちうミち」と刻まれ、かつては、井の頭弁財天信仰者の道しるべとなっていたように思われます。
また、この庚申塔は、当初からこの分岐に造立され、願主名も列記されており、近世における久我山の歴史や交通路を知るうえで、一つの重要な資料といえます。
以上のことから、この庚申塔は、杉並区有形文化財として登録されました。
今後とも、私たちもこのような文化財を、一層大切に守りつづけたいものです。
昭和61年1月 (「95 享保七年銘道標付庚申塔 【信仰】(久我山5丁目9番)|杉並 … 」より)]
享保七年銘道標付庚申塔案内板(Google Map 画像)
カメラ西方向・道路二股の突端に享保七年銘道標付庚申塔があります。
享保七年銘道標付庚申塔(Google Map 画像)