人見四郎の墓跡碑

マーカーは人見四郎の墓跡碑です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で浅間山に人見四郎の墓跡があります。

人見四郎の墓跡碑
[浅間山公園の前山に黒いモニュメント「人見四郎の墓跡」がある。
碑には、
「ここは鎌倉時代末期から南北朝時代 にかけて活躍した武士人見四郎の墓跡と伝えられる 平成二年三月 府中市教育委員会」
と記されている。
 標高80mの浅間山からは、人見が原合戦場を一望に見渡すことができる。正平7年(1352年)に、新田義興義宗らが 足利尊氏と人見が原・金井原一帯で合戦した。この時代、活躍したのが「人見四郎」である。
人見氏は、埼玉県大里郡を本拠とする武蔵7党の内の猪俣党の人見氏と云われ 、浅間山の麓に一族が来ていたとされる。 近くには、旧村名「人見村」があり、「人見街道」は府中から「人見村」、三鷹等 を経由して大宮まで行く。  (「府中市」より)]

[浅間山には、鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した武士・人見四郎の墓跡があります。
なお、村名の起こりは不明ですが、この地域は昔、人見村と呼ばれていました。
現在でも杉並区へ向けて、旧人見村の中心を人見街道が通り、浅間山の南側麓には、人見稲荷神社も鎮守しています。  (「東京都府中市の史跡・旧跡 – ほっと府中 東京都府中市」より)]

人見四郎の墓跡 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向が「人見四郎の墓跡」モニュメントです。

カメラ西北西方向が「人見四郎の墓跡」モニュメントです。