マーカーは伝鎌倉街道です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
「武蔵国分寺跡 附東山道武蔵路跡 – 国分寺市」案内マップ
伝鎌倉街道
[鎌倉時代の幕府所在地である鎌倉と各地を結ぶ主要道路の1つで、周辺諸国の武士団や物資を運ぶ重要幹線道路でした。
現在の「鎌倉街道」の名は、近世になって使用されたもので、鎌倉当時は武蔵国内を通過する主要道路は上の道、中の道、下の道と呼称されてい ました。鎌倉以前の幹線道路である東山道武蔵路と道筋の重なる「上の道」が、現在の鎌倉街道にあたります。鎌倉から町田・府中を経て、国分寺市内の武蔵国分尼寺跡西側-泉町交差点付近-小平を通り、上野(群馬県)、信濃(長野県)方面にのびています。市立歴史公園(武蔵国分尼寺跡)の北側にある国分寺崖線を切り通した約120メートルの道が「鎌倉上道」の名残といわれて保存されています。 (「伝鎌倉街道【市重要史跡】|国分寺市」より)]
カメラ北向が伝鎌倉街道です。
カメラ南向が伝鎌倉街道です。