保久屋押出し

マーカーは保久屋押出しです。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。

保久屋押出し
[桃井4丁目交差点の一つ先に、吉祥寺方面に向かう古道の入口があります。村絵図などには「吉祥寺道」、「八王子道」などと書かれ、 → 「東京近傍図」の右下隅に描かれているものですが、その入口付近に保久屋という屋号の「荷車の車輪を通す仕事をする店」があり、一帯は「保久屋押出し」と通称されていました。「もと吉祥寺方面から野菜などの荷車を運ぶ人が道の悪い所を家人に押してもらって青梅街道まで来る、その出口に当たっていた。こういう場所を押出しと呼んだのである。」(杉並区教育委員会「杉並の通称地名」)
●保久屋押出し – 東京女子大前から吉祥寺へと至る都道113号線(女子大通り)の入口で、最大の難所である善福寺川の→ 原寺分橋まで500mほどです。  (「保久屋押出し – 神田川 「まる歩き」 しちゃいます!! – Gooブログ」より)]

[女子大通りのこのあたりは、現在「アンティーク通り」といわれアーバン・アンティークス等がアンティークやさんが林立している。
ちょうどこのあたり、かって「保久屋押出し」(ぼくやおんだし)といわれ昭和40年頃まではこの地名が使われていた。
「押出し」(おんだし)とは坂道での荷車の後押し業をいい、善福寺川の寺分橋から青梅街道迄の上り坂で荷車の後押しをした「保久屋」という押出し屋さんがあったのだ。
現在「女子大通り」と呼ばれるこの道は、青梅街道から人見街道に抜ける道であるが律令時代奈良時代末期から存在したのではないかと言われるほどの古道である。かって「八王子道と呼ばれ近くは吉祥寺方面、遠くは八王子方面から野菜などを都心に運ぶ荷車で賑わったが、その終端青梅街道に出る最後の上り坂が「保久屋押出し」。  (「西荻の商家 – WakWak」より)]

カメラ南南西方向が「保久屋押出し」です。