マーカーは六郷用水取り入れ口碑です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切左下に多摩川が流れ、多摩川の右上、多摩川に並行して六郷用水が描かれています。また、「上野」左側の多摩川左岸が取り入れ口になります。]
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図の中央・狛江村下に六郷用水が描かれています。
[六郷用水取り入れ口
六郷用水は、徳川家康の命により慶長2年(1597)から16年にかけて代官小泉次大夫吉次 によって作られた灌漑用水路で、次大夫堀とも呼ばれています。
この用水は、多摩川の水をこの辺りで取り入れ、市役所の裏で野川と合流し、世田谷区を経て、大田区に至り、全長約23Kmに及びました。市内でも和泉、猪方、岩戸の水田に利用されてきましたが、この辺りは昭和40年に埋め立てられました。
写真は、多摩川から見た取り入れ口で、右側が現在地付近、左側が玉翠園で、昭和初期のものです。
平成3年3月
狛江市教育委員会 (「六郷用水取り入れ口 – Monumento(モニュメント)」より)]
カメラ南方向・右端樹木の右に六郷用水取り入れ口碑があります。