分倍河原古戦場碑

マーカーは分倍河原古戦場碑です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図を見ると分梅河原古戦場が描かれています。

分倍河原古戦場碑
[分倍河原の戦いとは?
鎌倉時代後期の元弘(げんこう)3年(1333年)5月、新田義貞は、上野国生品(こうずけのくにいくしな)神社群馬県)にて鎌倉幕府を討幕すべく兵を挙げました。
幕府軍を打ち破りながら南下した新田軍を、北条泰家率いる幕府軍が、分倍河原の地で迎え撃ちます。
一時、幕府軍は新田軍を追い詰めるものの、最終的に新田軍が勝利をおさめます。
そして、鎌倉幕府が滅亡へと向かっていくのです。
分倍河原古戦場碑
京王線中河原駅から徒歩で約10分ほどの新田川緑道(しんでんがわりょくどう)内に分倍河原古戦場碑があります。
昭和10年、新田氏の子孫であり、元男爵新田義美(にったよしてる)氏の筆によるものです。
歴史的な合戦の舞台となったとは思えない静かでしずか穏やかな場所です。  (「分倍河原古戦場碑・新田義貞公之像 東京都府中市ホームページ」より)]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「分倍河原陣街道 首塚 胴塚」(10-14・左ページ)、「分倍河原 三千人塚 陣街道解説」(10-15)

分倍河原古戦場碑 – Google Map 画像リンク

分倍河原古戦場碑前のカメラです。