南蔵院(首つぎ地蔵尊)

マーカーは南蔵院です。

南蔵院
[真言宗豊山派の南蔵院は、瑠璃光山医王寺と号し、良弁僧都が(永正年中或いは延文年中に)開創しました。江戸時代には12石8斗の御朱印領を拝領、西光寺(廃寺)、大日堂(廃寺)を末寺に擁していました。古くから、万病にきく白龍丸を頒布し「南蔵院の投げ込み」として全国に広まっていました。御府内八十八ヶ所霊場15番札所、豊島八十八ヶ所霊場15番札所です。

『練馬区教育委員会掲示による南蔵院の縁起
南蔵院は、山号を瑠璃光山、寺号を医王寺といい、薬師如来本尊とする真言宗豊山派のお寺です。当院の西北約500mにある良弁塚の石碑の文によれば、延文2年(1357)に良弁僧都(奈良時代東大寺大仏建立に尽力した別当良辨僧正とは別人)が中興したと伝えられています。良弁については詳しくは分かっていませんが、全国を行脚し、各地の寺にお経を奉納した後、当地に永住したといわれています。境内には、古い建物や石造物などがあり、良弁塚から出土した経筒は寺宝として保存されています。また府内八十八ヶ所巡りの第十五番札所となっており、当院の格式が示されています。明治9年(1876)11月に本堂を使って豊玉小学校が設置され、この場所で小学校の教育が行われました。なお次の練馬区指定文化財が所在しています。
練馬区指定文化財
鐘楼門一棟
江戸時代中期の建築と考えられる区内唯一の鐘楼門(練馬区教育委員会掲示より)』  (「猫のあしあと – 南蔵院」より)]

首つぎ地蔵尊
[練馬・南蔵院の境内に「首つぎ地蔵尊」が鎮座している。別の場所のお堂に祭られていたお堂が、2014年にこの場所へ移動してきたのだが、以前は前掛けや着物などが着せられていたため、首つぎがよくわからなかった。いまははっきりその継ぎ目が見て取れる。
「首つぎ地蔵尊」が誕生したのは昭和初期のこと。
 護国寺の経を読む会で「野原の中に立つ首のない地蔵の夢を2晩続けて見た」という男性の話聞いた人が「練馬の野原の中にそのような地蔵がある」と答えた。すると同席していた女性が、「私のところに知り合いが持ち込んだ、新宿で拾ったという地蔵の頭がある」と申し出た。ためしに継いでみると、これがぴったりと合うではないか。
 地蔵が自分で頭を探し出したというこの話は、大きく広まり「中村橋首接地蔵尊」として大変な人気となった。当時は雑木林だけだった場所にお堂が建ち、茶屋までできた。
 以来、「首をつなぐ地蔵」は不況の時代にあっては「リストラ防止」地蔵として多くの参拝者を集めてきた。。  (「“リストラ防止祈願”でサラリーマンが訪れる都内のパワースポットとは」より)]

「ねりこです☆中村八幡神社裏にあった首つぎ地蔵のその後です。春に南蔵院(中村1丁目15−1 )へ移転しました。  (「ねりま観光センター on Twitter: “ねりこです 中村八幡神社裏にあった首 …」より)]

南蔵院 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が南蔵院鐘楼門です。

カメラ北北東方向・門向こうに南蔵院長屋門があります。

南蔵院境内のカメラです。

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