南養寺

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南養寺
[臨済宗建長寺派寺院の南養寺は、谷保山と号します。南養寺は、立川入道宗成が開基となり、建長寺三十七世真照寺大定禅師物外可什大和尚(貞治2年1363年没)が開山江戸期には寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による南養寺の縁起
(上谷保村)南養寺
臺にあり、谷保山と號す、禅宗臨済派、當郡柴崎村普済寺末、本堂十間半に七間半南向、御朱印十石の寺領を附せらる、本尊釋迦木の坐像長一尺、開山大定貞治二年十月八日寂す。
観音堂。四間四方、木像の千手観音立身長二尺餘、運慶の作。
鐘楼。九尺四方、安永六年の鋳作。
寮一宇。門の西にあり。
門。谷保山の三字を扁す。前南禅僧僧録司大川宗達の書とあり。(新編武蔵風土記稿より)
南養寺所蔵の文化財
本堂 – 現在の本堂は、文化元(一八〇四)年に地元の大工佐伯源右衛門、北島安右衛門等によって建築されました。昭和五十六(一九八一)年に修理が行われた時、屋根は入母屋造り萱葺から銅板葺に変えられました。禅宗方丈型本堂として、当市における貴重な建造物です。本尊釋迦如来座像です。(国立市教育委員会掲示より)
●大悲殿 – 寛政五(一七九三)年に、千丑(城山の東方向の地域)にあった藤井山圓成院の観音堂を移築したものです。屋根は宝形造りの銅板葺です。観音堂は、矢澤大堅がその師実山道伝より贈られた「十一面千手観音座像」(市指定有形文化財)を安置するため、享保三(一七一八)年に建立したものと伝えられています。また、現在は壁面に移動されている天井画は相沢五流の手によるもので、二十八部衆を描いた壁画と共に、絵画としても優れており、大悲殿を一層貴重なものとしています。(国立市教育委員会掲示より)
●総門 – 安永九(一七八〇)年に地元の大工佐伯源太によって建築されました。形式は薬医門、屋根は切妻造りで銅板葺です。前南禅総録司大川祟達の書による「谷保山」の扁額を掲げています。建立は、江戸後期における南養寺伽藍整備の一環を示す貴重なものです。(国立市教育委員会掲示より)
鐘楼天明八(一七八八)年の建立で、屋根は入母屋造りで銅板葺です。関東大震災による被害の復旧が行われた大正十四(一九二五)年に、萱葺からトタン屋根に変えられ、さらに、昭和五十六(一九八一)年の修理時、現在の銅板葺になりました。梵鐘は、安永六(一七七七)年、谷保鋳物三家(関・森窪・矢澤)の関氏によって鋳造されたものです。(国立市教育委員会掲示より)
●庭園 – 本堂の北面にある約一〇〇〇平方メートルの庭園で、生垣をもって背景を区切り、西側に築山を設け、植栽を主としています。禅宗の自然観を表すといわれる枯山水様式です。作庭年代は、天保七(一八三六)年から天保十(一八三九)年頃と推測されます。(国立市教育委員会掲示より)  (「南養寺|国立市谷保にある臨済宗建長寺派寺院 – 猫の足あと」より)]

久保の地蔵菩薩像
[文化財分類種別 – 市登録有形文化財・歴史資料
所在地 – 国立市谷保6218 南養寺
所有者・管理者 – 南養寺
登録日 – 平成11年4月1日
概要
総高232センチメートル、高さ199センチメートル、羽場68センチメートル、厚さ46センチメートル、像高120センチメートル
本資料は、慶安2(1649)年の造立と年代が古く、しかも刻像塔としては2メートルを超える大型であり、市を代表する石仏です。
現在は南養寺境内に安置されるが、元々は現在の久保公会堂付近に位置していたとのことです。江戸時代には、矢川駅から南養寺前を通る道を地蔵街道と称したのも、この地蔵菩薩像が安置されていたことが理由と思われます。  (「市登録有形・歴史資料(41)-1/国立市ホームページ – 久保の地蔵菩薩像」より)]

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カメラ南方向が南養寺参道で、参道左に常夜燈があります。

カメラ南方向が南養寺総門です。

南養寺本堂前のカメラで、カメラ北方向に総門、カメラ北北西方向に地蔵堂、カメラ南南西方向に大悲殿、カメラ南東方向に鐘楼があります。