善福寺池(善福寺公園)

マーカーは善福寺公園石碑です。

善福寺池(善福寺公園)
[善福寺池は、古来より武蔵野台地からの湧水池として知られていた。まだ農村だった江戸時代には、貴重な水源であった。また池は遅野井池とも呼ばれ付近一帯の上井草村は別名遅野井村とも言われた。善福寺の名の由来は、池のほとりにあった寺の名前に由来しているが、江戸時代に廃寺となっている。また、ややこしいが近辺に「善福寺」という名の寺が現在あるものの、これは福寿庵という元々違う名前だった寺で、後年地名をとって改名した物であり、池の名前の由来にはなっていない。
湧水量も多く、近辺には武蔵野雑木林を思わせる木々も多くあり、野鳥や草花も豊富で、都内でも数少ない自然豊かな公園である。  (wikipedia・善福寺公園より)]

遅の井(おそのい)
[善福寺池の湧水のひとつ。その起源は古く、言い伝えによると約800年前の文治5年(1189年)、源頼朝奥州征伐に向かう途中、この地で飲料水を求めるために土を掘りました。折からの干ばつでなかなか水が出ず、自ら弓の「はず」で土を7箇所掘ると、しばらくしてその7箇所に水が湧き出たといわれていま す。水の出を「今や遅し」と待ったところから「遅の井」と命名されたというわけです。現在は、泉が凅れてしまったので、新たに井戸を掘りポンプで汲みあげ、遅の井の滝として復元しています。  (「見どころ|善福寺公園|公園へ行こう!」より)]

善福寺川
[善福寺川は善福寺池を源とし、杉並区の中央を蛇行して流れ、中野区に入って神田川に合流する区内最長の川で、区内での延長は約10㎞です。
 この川の流域には、区内における最大級の複合遺跡として知られる松ノ木遺跡(先土器時代奈良時代平安時代)を始めとして、光明院南遺跡・川南遺跡・谷戸遺跡・大宮遺跡・済美台遺跡などがあり、こうした遺跡や包蔵地の所在は、かつての水量豊かな善福寺川の流れを古くから人々が活用していたことをうかがわせます。
 徳川家康天正18年(1590)江戸に入国すると、ただちに善福寺川・神田川妙正寺川を給水源とする最初の上水といわれる小石川上水(のちの神田上水)、をつくり江戸に給水しました。そして明治34年、飲料水給水を廃止するまで、善福寺川は東京における最古の水道源のひとつとして人々を潤わせてきたのです。
 善福寺川は、かんがい用水としてもひろく利用され、流域の農村・農民にとって農耕上・生活上重要な価値を持っていました。また、子供達の水遊びやつりの場でもありました。
 善福寺池西側には、源頼朝ゆかりといわれた噴泉があり、かつては盛んに湧水していました。今日、池を中心とした周辺は区内有数の公園として親しまれ、区民の憩いの場となっています。
 私たちは、このような歴史ある河川を一層大切に守りつづけたいものです。
   昭和56年2月15日  (「39 善福寺川 【川】(善福寺2丁目31番) – 杉並区役所」より)]

[都市化とともに善福寺池に流入する水量が激減し、一時期上流部にはほとんど水が流れていなかったが、1989年(平成元年)からは善福寺池からの流出地点にあたる美野山橋のたもとより放水し、渇水を防いでいる。 この水は都の清流復活事業により千川上水へ通されている下水高度処理水を、上水の開渠部終了地点にて回収し、送水しているものである。  (wikipedia・善福寺川より)]

善福寺川~善福寺公園の桜(2011年4月9日) : Trans Europe

善福寺池 上の池 – Google Map 画像リンク」、「市杵嶋神社 – Google Map 画像リンク」、「遅の井の滝 – Google Map 画像リンク」、「内田秀五郎翁像 – Google Map 画像リンク」、「善福寺公園南(ボート乗場) – Google Map 画像リンク」、「善福寺池 下の池 – Google Map 画像リンク」、「東京都立善福寺公園 – Google Map 画像リンク

善福寺公園北端散策路・上の池北端のストリートビューです。

カメラ西方向が復元された遅の井の滝で、カメラ東北東方向に市杵嶋神社があります。

カメラ位置・道路両サイドが善福寺公園で、カメラ北北西方向に善福寺公園石碑があります。

善福寺池東端散策路・下の池東端のストリートビューで、善福寺池から善福寺川への流出地点になります。カメラ東方向が美野山橋で橋下に下水高度処理水放流口があります。

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