城山通りガーデン(西久保のルーツ)

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マーカーは城山通りガーデンです。

城山通りガーデン
[多様性のある親しさのイメージの公園
所在地 〒180-0013
東京都武蔵野市西久保3丁目5番  (「施設案内 城山通りガーデン|武蔵野市公式ホームページ」より)]

西久保のルーツ
[現在の虎ノ門にあった西久保城山町から武蔵野へ
 武蔵野市の西久保は、かつては西窪(現在武蔵野市西久保緑町)とも称されていました。江戸の西久保城山町からの移住により寛文2(1662)年に開村、同4(1664)年検地をされました。この移住も吉祥寺と同様、江戸の火災と、防火対策に伴う都市改造が理由でした。
 西窪のルーツであった西久保城山町(西之久保町ともいう)は、現在の港区虎ノ門に位置していました。愛宕山(あたごやま)の西側にあった低地であることから、そのように称されたといわれ ています。武家屋敷や寺社が並ぶ地域で「江戸名所百景 愛宕下・藪小路」の浮世絵からは、幕末の近辺の様子を伺い知ることができます。
 慶安3(1650)年の大火によって西久保城山町は焼失してしまいます。焼失後の区画整理により家を失った農民は簡素な住まいで暮らしていましたが、またもや明暦の大火によって住居を失います。跡地が武家屋敷となったため替地を訴えた農民らに対し、幕府は武蔵野の原野を与え、開発資金を貸与。移住者は江戸の町の名をとり、西窪新田と名付けました。
 『増補港区近代沿革図集』によると、西久保城山町の地名は明暦の大火により消滅後、明治5(1872)年に復活し、昭和22(1947)年の港区の成立に伴い芝西久保城山町に改称。昭和52(1977)年に住居表示の実施により現在の虎ノ門四丁目となりました 。『御府内往還其外沿革図書(ごふないおうかんそのほかえんかくずしょ)』から編成された地図では、西久保城山町や西久保通の名を見ることができます。
 現在は西久保城山の地名は消えてしまいましたが、現在も城山ガーデンという開発エリアなどがあり、武蔵野市でも武蔵野郵便局西側にある南北道が城山通りと呼ばれ、その名残をとどめています。  (「季刊むさしの ナンバー107 2014年夏号 武蔵野ヒストリー ルーツの地を探る 吉祥寺と西久保 (PDF 1.1MB)」より)]

カメラ南南東方向が城山通りガーデンで、カメラ西方向T字交差路が城山通りになります。

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