多聞寺

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多聞寺
[多聞寺(たもんじ)は東京都東久留米市本町にある真言宗智山派の寺院。
石神井公園三宝寺の末寺。
貞和5年に開山本尊不動木の立像、境内は古樹蒼鬱として古寺なること知るべし、本堂、左に毘沙門堂がある”
新編武蔵風土記稿に記されている。
現在は南向きの明るい境内で、本堂は1975年(昭和50年)に弘法大師の生誕1200年を記念して鉄筋コンクリート建てに建立された。
境内
境内の中央に本堂があり、南面中央に山門、その右手に庫裡、左手に薬師堂がある。
本堂 – 皇国地誌では康元元年(1256年)に創建とされ、3度の大火にあって再建され、現在の本堂は1975年(昭和50年)6月に鉄筋コンクリートで建替えられた。本堂・wikipedia-photo
薬師堂 – 堂内には薬師如来はじめ、木造の地蔵菩薩、弁財天などが保存されていた。もとは毘沙門堂であった。薬師堂前の六地蔵尊には左より「地持」「陀羅尼」「法性」「法印」「鶏亀」「寶性」と記されている。六地蔵・wikipedia-photo
山門 – この門は、天保年間、村の欅を落合川に流して江戸まで運び、彫師に獅子の彫り物を彫らせ、近隣在住の西川家祖先の大工により作られたとの伝承あり。嘉永5年(1852年)の多聞寺建替えの際に再建された。東久留米市の指定文化財。なお、再建の際の古門は田無の観音寺(現総持寺)に譲り渡されたが、現存していない。山門・wikipedia-photo
文化財
多聞寺三代住職逆修供養板碑 – 多聞寺三代住職逆修供養板碑(たもんじさんだいじゅうしょくぎゃくしゅうくよういたび)は室町時代作。多聞寺の開発(かいほつ。寺伝では中興初代)から三代までの住職の板碑。現存寺院と関係のある板碑は極めて稀で珍しい。
●開発亮慶(りょうけい)法印のものは明応7年(1498年)作。高さ101センチメートル、幅27.5センチメートル。
●第二住亮真(りょうしん)法印のものは大永5年(1525年)作。高さ112センチメートル、幅27.7センチメートル。
●第三住賢栄(けんえい)法印のものは天文20年(1551年)作。高さ131センチメートル、幅35.5センチメートル。
いずれも生前に仏事を修して死後の冥福を祈った逆修板碑である。 1981年(昭和56年)に東久留米市の有形文化財(第5号)に指定された[6]。
南沢獅子舞 – 江戸時代初期頃から旧南沢村に伝わる伝統芸能で、東久留米市指定無形民俗文化財。毎年9月15日の氷川神社の秋祭りに、五穀豊穣と悪疫退散を祈願して村をあげて盛大に行われた。現在は10月14日の夜は多聞寺で練習の総仕上げの「揃い獅子」、15日の昼は氷川神社の境内で、同夜は多聞寺で演じられる。南沢獅子舞には獅子の他に太刀(たち)、世流布(せりふ)、神楽(かぐら)、万歳(まんざい)等の芸能が行われる。  (wikipedia・多聞寺_(東久留米市)より)]

多聞寺山門(東久留米市指定文化財) – Google Map 画像リンク」、「多聞寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が多聞寺参道です。