大宅壮一文庫

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大宅壮一文庫
[公益財団法人大宅壮一文庫は日本で初めての雑誌図書館です。評論家・大宅壮一(1900-1970)の雑誌コレクションを引き継いで、明治時代以降130年余りの雑誌を所蔵しています。
 大宅壮一文庫では雑誌記事索引データベースを作成しており、主な所蔵雑誌の記事を検索することができます。また、雑誌原本の閲覧や複写もできます。
 大宅壮一は「本は読むものではなく、引くものだよ」と言っています。評論活動のかたわら、執筆のために資料収集と整理に力を尽くした大宅壮一らしい言葉です。
 生前、大宅壮一はことあるごとに古書市や古書店に通い、約20万冊の蔵書を遺しました。そのコレクションのほとんどは雑誌で占められており、自ら“雑草文庫”と称して、知人に惜しみなく開放していました。
 大宅壮一没後の1971年、大宅壮一文庫はマスコミはじめ各界の援助により設立されました。「蔵書は多くの人が共有して利用できるものにしたい」という故人の遺志により、雑誌図書館として一般に開放され、現在では年間約10万人の利用者を数え、多くの皆さまに活用されています。  (「大宅壮一文庫について」より)]

[大宅壮一は1900年(明治33年)9月13日大阪府富田村(現在・高槻市)に父・八雄、母・トクの三男として生まれた。少年時代、各種少年雑誌に投稿、懸賞メダルを多数獲得。米騒動を煽動するような演説をしたということで、大阪・茨木中学を放校。家業の醤油屋を担いながら「専検」に合格し、旧制第三高等学校に進学。
1922年(大正11年)東京帝国大学文学部社会学科入学。新人会に所属、在学中より健筆をふるう。第二次大戦後、時代の風潮をみごとに裁断する独特な社会評論や人物評論で長くマスコミ界で活躍。自ら“無思想人”を宣言。明快な是々非々論で広く一般大衆の支持を得た。
新語づくりの名人でもあり、「一億総白痴化」「駅弁大学」「恐妻」などの造語を数多く生み出した。主な著作に、『文学的戦術論』『実録・天皇記』『日本の遺書』『世界の裏街道を行く』『無思想人宣言』『昭和怪物伝』『炎は流れる』などがある。
1970年(昭和45年)11月22日永眠。死の直前に大宅壮一ノンフィクション賞が創設され、ライターの登龍門となっている。  (「大宅壮一について – 大宅壮一文庫」より)]

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