天王宮八雲神社(元応の板碑)

マーカーは天王宮八雲神社です。

天王宮八雲神社(元応の板碑)
[天王宮八雲神社の創建年代等は不詳ながら、社地内に天王塚古墳(六世紀後期)がある他、境内門前に古鎌倉街道が通っており、また元応元年(1319)銘の板碑の存在などから、古くより鎮座していたのではないかといいます。
新編武蔵風土記稿による天王宮八雲神社の由緒
(本町)天王社
除地、二段三畝廿五歩、縄の本社にして、拝殿九尺に一丈二尺、石の鳥居を建、分梅にあり。(新編武蔵風土記稿より)
●八雲神社脇の元応の板碑
鎌倉時代の中頃から室町時代の末までのおよそ三百年の間、府中では埼玉県秩父地方比企地方で産する緑泥片岩を板状に加工した供養塔婆が盛んに造立されました。このような石造の供養塔婆を板碑と呼んでいます。
市内では大小様々の六百基を超える板碑がみつかっていますが、この板碑は市内では最大級であり、加えて古道の傍らにあって造立当時の面影を残しているとみられる貴重なものです。
この板碑は元応元(一三一九)年十一月八日に、大蔵近之という人物が亡き父親道仏の十七年忌追善供養のために建てたものと考えられています。
八雲神社境内のこの板碑は、風化が著しくなり現状での保存が困難になったため、現在は複製を設置しています。(府中市教育委員会掲示より)  (「天王宮八雲神社|府中市分梅町の神社 – 猫の足あと」より)]

八雲神社鳥居 – Google Map 画像リンク」、「八雲神社 – Google Map 画像リンク」、「八雲神社脇の元応の板碑 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が天王宮八雲神社参道です。

天王宮八雲神社境内のカメラです。

カメラ北西方向に元応の板碑の複製が設置されています。