妙法寺

マーカーは妙法寺です。

妙法寺
[妙法寺の創建年代は不詳ながら、小川村の里正彌四郎の祖先と吉野又兵衛とが開基となり創建したといいます。明治42(1909)年、 棚沢村(奥多摩町古里)の法正院を合併して、榎戸家の墓所、希運庵の場所に移転したといいます。
●「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」による妙法寺の縁起
瑞雲山妙法寺は曹洞宗長円寺末の寺院で、五日市街道の国分寺高校北交差点の北西角に位置します。五日市街道に面して薬医門形式の門を構え、敷地内には本堂鐘楼と市指定重宝の「川崎・伊奈両代官謝思塔」が配されます。
妙法寺はもともと小川村(現小平市小川一丁目)にあった寺院で、明治維新後、小川村の檀家がいなくなったため、明治42(1909)年、 棚沢村(現在の奥多摩町古里)の法正院と併せ、榎戸家の墓所、希運庵の場所に移転したものとされます。(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)
●新編武蔵風土記稿による妙法寺の縁起
(小川村)妙法寺
除地、二町一段、瑞雲山と稱す、曹洞宗、郡内中藤村長圓寺の末、開山僧の名を傳へず、これも土地の里正彌四郎の祖先、及吉野又兵衛と云るが、二人力を合せて草創せしといへり、されど吉野又兵衛のことは、外にきくことなし、客殿は八間四方、本尊釈迦を安せり。(新編武蔵風土記稿より)  (「妙法寺|国分寺市北町にある曹洞宗寺院 – 猫の足あと」より)]

川崎・伊奈両代官感謝塔
[武蔵野の新田開発時、農民保護、営農指導等に努力した両代官に感謝するため造立された宝篋印塔です。
享保年間(1716年から1735年)に行われた武蔵野の新田開発の際に、干ばつなどによる不作で農民が困ったとき、夫食(食料のこと)貸付など各種の農民保護、営農指導等に 尽力した川崎平右衛門伊奈半左衛門の両代官に感謝して、武蔵野新田の人々が造立した宝篋印塔です。大正12年の関東大震災により倒壊し ましたが、昭和26年に再建されました。  (「川崎・伊奈両代官感謝塔(妙法寺)【市重要有形文化財】」より)]

妙法寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が妙法寺山門です。