マーカーは宝昌寺です。
宝昌寺
[白龍山宝昌寺は、曹洞宗の寺で、本尊は釈迦牟尼如来坐像です。
当寺は、文禄三年(一五九四)頃、中野成願寺五世葉山宗朔によって開創されました。曹洞宗となるまえは、真言宗の寺であったと思われ、室町期作の旧本尊大日如来像が現存しています。
江戸時代の宝昌寺は、成宗村の檀那寺として村民の信仰の拠りどころであり、また村内の熊野神社・須賀神社・白山神社の管理をする別当寺でもありました。
安政三年(一八五六)火災のため本堂を焼失、現在の本堂は大正十年に建立したものです。この火災により伝来の古記録類はほとんど失われましたが、寺内にはなお多数の板碑のほか、区内でも最古といわれる舟型地蔵尊や庚申塔などの文化財が所蔵されています。
境内に奉安する豊川稲荷社は、明治末年付近一帯が飢饉に襲われた時、人々の災難消除と五穀豊穣を祈願して、愛知県豊川閣から移し祀ったもので、その利益はいちぢるしく、大正時代から近在諸村に豊川稲荷信仰がひろまったといわれます。 (「15 宝昌寺 【寺院】(成田西3丁目30番30号)|杉並区公式ホームページ」より)]
成田西の石橋供養塔
[形式 – 石碑(尖頭角柱、道標兼)、諸元 – 高69㎝,幅32㎝,厚21㎝、建造年 – 文久4(1861)、保存状態 – 移設/下部埋設、価値判断に係る事項 – (正面)「石橋/供養、十方村々々…」、(右面)「東 江戸道」 (「東京都 – 近世以前の土木・産業遺産」より)]
[「旧五日市街道の難所「尾崎の七曲り」|すぎなみ学倶楽部」によると石橋供養塔は「元道角橋」付近(Google Maps)にあったものが移されたものと記述されて、「元道角橋」の欄干の片側が善福寺川緑地で発見され尾崎熊野神社境内(Google Maps)に保存されているとのことです。]
「宝昌寺 – Google Map 画像リンク」、「延命地蔵菩薩 – Google Map 画像リンク」
カメラ北西方向が宝昌寺参道で、参道左・寺標右に石橋供養塔兼道標があり、右側に「東江戸道」と刻まれています。
宝昌寺本堂前のカメラです。