宮前一丁目庚申塔

マーカーは宮前一丁目庚申塔です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。

宮前一丁目庚申塔
[ここに建立されている石塔は、延宝6年(1678)・元禄9年(1696)銘の庚申塔です。
庚申信仰は、「長生きするためには、60日に1回めぐってくる庚申(かのえさる)の夜は身を慎しみ、諸善を行い、徹夜をすべきである」という中国の道教説から始まったようです。それが日本に伝わってからは、中世以降仏教や神道の信仰と習合して庶民の間にひろまりました。江戸時代には、本尊青面金剛とし、不見、不聞、不言の三猿が彫られるようになり、ここに見られるような庚申塔の建立が盛んになりました。
この辺りは、かつては大宮前新田といわれ、江戸時代の寛文年間に、砂川道(五日市街道)沿いの新田村として開村しました。そして、この場所は大宮前新田の地番の振り出しで、当時から慈宏寺の寺有地となっています。
ここの庚申塔は、開村後地域の人々が悪疫退散、村内安全等を祈願して建立されたものと思われます。延宝6年の石塔には13名、元禄9年の石塔には31名の建立者の氏名が刻まれています。
なお、ここからは昔、富士山が見えたので富士見浦と呼ばれました。塔わきの藤の木は「庚申の藤」と呼ばれ、昭和5年から43年まで、都天然記念物に指定されていた樹齢約300年の古木で、庚申塔建立と同じ頃植えられたものと伝えられています。  (「35 民間信仰石塔(宮前一丁目) 【信仰】(宮前1丁目17番)|杉並区公式ホームページ」より)]

[庚申藤 – 旧東京都天然記念物。宮前1-17-24に所在。樹齢300年以上といわれる藤の古木と、1678年(延宝6年)銘と1696年(元禄9年)銘の庚申塔を祀った小堂がある。藤の木は1930年(昭和5年)に都天然記念物に指定されたが、戦後に同所が廃材置場になり、焚き火により勢いが衰えたため、1968年(昭和43年)に指定解除となった。この周辺が、大宮前新田の地番の振り始めであった。  (wikipedia・宮前_(杉並区)より)]

カメラ南西方向が宮前一丁目庚申塔を祀る祠です。2018年5月の画像では祠後ろに指定解除後に植えられた藤が写っていますが、この藤も2018年11月には除去されています。

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