宮田橋敷石供養塔と高松の庚申塔

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マーカーは宮田橋敷石供養塔と高松の庚申塔です。

宮田橋敷石供養塔と高松の庚申塔(画像リンク)
[敷石供養塔と高松の庚申塔は、道楽橋北西約100メートルの十字路角にあります。敷石供養塔は、文化4年(1807年)、近くの清戸道に敷石を並べて交通の便を図ったことを記念して建立されました。練馬の村々だけでなく、保谷、片山・石神・栗原、落合・神山・小山、清戸・野塩・秋津、安松などの地名も彫られており、清戸道沿いに区域をこえた広範な地域の人々がかかわっていたことが分かります。江戸時代における村々の結びつきを示す貴重なものです。昭和44年までは付近の石神井川の細流に架けられていた宮田橋(現在は消滅)際にありました。
 高松の庚申塔は、正徳5年(1715年)、上練馬高松村の人々26人により建立されたもので、高さ180センチメートルもある見事なものです。主尊は青面金剛で力強く天邪鬼を踏まえ、その下には「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿が彫られています。上部には雌雄の鶏や日、月などの飾りつけがあってにぎやかになっており、江戸時代中期の特徴がでています。建立当初は道楽橋際にありました。
 平成3年度区登録
※注釈1:庚申信仰
 中国大陸から伝わったとされる庚申信仰では、庚申の日に寝ると、人の体内にいる三尸虫(さんしちゅう)が人体を抜けて天帝にその人の悪事を告げると信じられています。庚申の日とは、十干(かのえ)と十二支(さる)を組み合わせた日にちを表現したもので、60日ごとに巡ってきます。そのため、この日は三尸虫が身体から抜け出さないように、信仰する人たちは一晩中起きていなくてはなりません。江戸時代には、皆が集まって起きていようと講が結ばれました。酒宴などの行事も行われるようになり、庶民の間に信仰が広がりました。中では、延命招福を祈るとともに、連帯を図るため、庚申塔が造立されました。
※注釈2:庚申塔の各部名称(画像リンク)  (「練馬区ホームページ – 宮田橋敷石供養塔と高松の庚申塔  (みやたばししきいしくようとうとたかまつのこうしんとう)」より)]

宮田橋敷石供養塔と高松の庚申塔 – Google Map 画像リンク

カメラ南東方向に宮田橋敷石供養塔と高松の庚申塔があります。

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