マーカーは寛政六年地蔵です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
[寛政六年地蔵
高さ八十二cm
この地蔵は、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)を持った石造の立像で、寛政六年(一七九四)に小金井村下山谷(現緑町)の念仏講中四十六名、願主の清水右衛門、鴨下佐吾兵衛によって建てられました。
念仏講は、極楽往生を願って南無阿弥陀仏を唱えながら百萬遍の数珠繰(じゅずぐ)りなどをする信仰で、下山谷地域では享保年間(一七一六〜一七三六)から盛んになり、平成元年(一九八九)まで行われていました。
台座に「右 ふちう 大山みち」と道標が刻まれており、地蔵の前の道が田無方面から府中、さらに相模の大山石尊大権現(阿夫利神社)に通じ、大山道と呼ばれていたことがわかります。
平成八年二月二十八日
小金井市教育委員会]
寛政六年地蔵案内板(Google Map 画像)
カメラ南西方向が寛政六年地蔵です。
寛政六年地蔵(Google Map 画像)
寛政六年地蔵(Google Map 画像)