尾崎橋

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マーカーは尾崎橋です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
地図を見ると、尾崎橋の周辺は1944年~1954年までの地図では水田(尾崎田圃)で描かれ、1927年~1939年の地図で改造後の状態で描かれています。周辺は1944年~1954年の地図では水田(成宗田圃)、1965年~1968年地図から宅地開発が進められたことがうかがえます。

尾崎橋
[上流に向って左側の台地が尾崎と呼ばれています。「おさき」とは、突き出した台地の先端(小崎)を指す古い地名で、発掘された石器や土器また住居址からみて、この台地には約8,000年前から人が住んでいたことが知られます。またこの地名に付会して「源頼義 が奥州征伐のため当地を通過した際、源氏の白幡のような瑞雲があらわれ、これが因縁で大宮八幡宮を勧請することになったが、その白幡の見えたあたりを白幡(この付近)、尾のあたりを尾崎と名付けた」(大宮八幡宮縁起)との伝説があります。
このあたりの風景は、五日市街道を通って小金井の桜見物に出かけた江戸の文人たちの随筆にも書かれており、辻知篤の享和3年(1803)の文には次の様に記されています。
「馬橋村のなかばより左におれて、山畑のかたへのほそき道をゆく。」「つづらおりめいたる坂をくだりて田面の畦をゆく。田の中に小河ありて橋をわたる。これを尾崎橋という。」
平成9年3月  (「13 尾崎橋 【橋】(成田東3丁目17番1号)|杉並区公式ホームページ」より)]

善福寺川緑地
[善福寺川緑地(ぜんぷくじかわりょくち)は、東京都杉並区にある都立公園である。善福寺川に沿う形で広がっている。
成田一帯は古くから水はけが悪く、蛇行しながら流れる善福寺川周辺には自然溜池ができるなど水害の多い地域である。
戦後は宅地化が進み、河川を改修し周囲は都立公園として整備された。下流に隣接する和田堀公園は溜池を中心として造成されたのに対し、善福寺川緑地は植物を中心に造成された公園である。
荻窪一丁目の神通橋(Google Maps)から五日市街道の尾崎橋までの約1.5キロの間に約400本の桜並木が続き、都内有数の花見の名所として知られ、近隣住民の憩いの場として、また遠方から植物や野鳥を観測する来訪者も多い。大宮八幡宮と水道道路の中間的エリアからは、坂下であるにも関わらず、西新宿の高層ビル群が一望され、都心の地理的な高低差が実感できる場所となっている。
公園内全域が東京都の広域避難場所に指定されている。  (wikipedia・善福寺川緑地より)]

カメラ位置は尾崎橋東詰で、カメラ北北西方向・親柱右に案内板があります。

カメラ位置は尾崎橋中央部です。

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