常徳院

マーカーは常徳院です。

常徳院
[常徳院(じょうとくいん)は、東京都世田谷区宮坂にある寺院。曹洞宗に属し、山号を「観谷山」という。寺伝などによれば、開基は足利義尚といわれる。本尊十一面観音像は慈覚大師円仁作と伝えられ、毎年8月20日の開帳には多くの人々が訪れている。
小田急小田原線経堂駅前から世田谷消防署宮の坂出張所や世田谷区役所経堂出張所の前を過ぎて東急世田谷線宮の坂駅方面に続く道を5分ほど歩くと、左側に常徳院山門へと続く石畳の参道が現れる。曹洞宗に属し、本山は永平寺總持寺、山号を「観谷山」という。常徳院に敷地の境を接して、乗泉寺世田谷別院(本門佛立宗)が存在する。
かつてこの寺院は「浄徳院」(または浄徳庵)と称し、現在の世田谷区船橋1丁目付近にあったと伝わる。寺伝などによれば、1486年(文明18年)3月に足利義尚が開基となり、多摩郡二俣尾村の海禅寺(東京都青梅市二俣尾に現存)から益芝永謙という僧を迎えて開山とし、宮坂に移転した。ただし、足利義尚の開基説については、法名が「常徳院悦山道治大居士」であったことから唱えられたともいわれる。
常徳院が所蔵する奥州(武蔵)吉良氏関連古文書のうち、中地山城守(吉良氏の家臣)という人物の署名がある吉良氏印判状では、吉良氏朝(吉良頼康の養子)の命によって十一面観音菩薩に立願し、仏供免田200疋を寄進した旨の記述があり、その宛名は「浄徳庵」となっている。吉良氏印判状は1573年(元亀4年)10月18日付のため、浄徳院(浄徳庵)は少なくともこの時期には存在していたことが推定されている。
常徳院は小本寺格の寺院で、経堂駅近くに現存する福昌寺はその末寺である。
1872年(明治5年)の『臨済宗 曹洞宗 黄檗宗 本末一派寺院明細帳』という資料によると、「境内 二町五反付歩」とあり檀家は160軒であった。1877年(明治10年)の『曹洞宗明細簿』では「檀家 百五拾八戸 境内 千四百拾九坪 官有地」で境外民有地が「六町四反弐畝弐拾八歩」で田や畑、林などが多かった。常徳院の周囲は、1954年(昭和29年)までは雑木林で人家がまばらな地域であり、大正時代にはこの寺から狐火が見えたと伝わる。この付近が急速に開け始めたのは、1927年(昭和2年)4月1日の小田急小田原線開通の時期からで、それ以後は民家が増えていった。隣接する乗泉寺世田谷別院の境内は、かつて常徳院所有の麦畑であった。その後乗泉寺が麻布から移転してきて、この地に堂宇などを構えている。
常徳院参道口・wikipedia-photo

  (wikipedia・常徳院_(世田谷区)より)]

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切左上・「古城山」左上方向に常徳院が描かれています。)

常徳院 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が常徳院参道口です。