マーカーは常演寺です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で「下石原」の下に描かれる卍が常演寺になります。
常演寺
[中興上人を良賢という。 当山の山号を神向山と称するは、 旧甲州街道をへだてて八幡神社と正対する由。 古来より仁王護摩供を伝え仁王像は田比首羯摩作である。 又、 天台高声念仏の祖、 但唱上人ゆかりの寺で境内に上人供養塔がある。 又当山は元深大寺末寺のひとつで武蔵国国司蔵宗の乱の時深大寺とともに逆賊降伏の修法の念仏道場としてさかえた。又、当寺院は元来旧鎌倉街道辺にあったのを三代将軍の頃、甲州街道が出来ると同時に移転された。 多摩川 33ケ所観音霊場の内 17 番札所にもなっている。 (「天台宗 東京教区 – 常演寺」より)]
「常演寺|調布市下石原にある天台宗寺院、多摩川三十三ヶ所観音霊場 – 猫の足あと」
カメラ南方向が常演寺参道です。