庚申塚交差点・石塔群

マーカーは庚申塚交差点・石塔群です。

庚申塚交差点・石塔群
[「旧早稲田通り」標識から5分ほどの庚申塚交差点を越えると、右手に祠がある。光明真言供養塔 / 庚申塔 / 六十六部廻国供養塔 / 石灯籠 が並んでいる。  (「所沢道(ところざわみち) 所沢道は、青梅街道・中野村追分(東京都中野区 …」より)]

[今回は練馬区内に存在したといわれる庚申塚の跡地を巡ってみようと思います。以前紹介した「小関庚申塚」には塚の痕跡が残されていましたが、「庚申塚」の名称で呼ばれながらも、すでに塚の存在しない庚申塚を集めてみました。
まずは、石神井台5丁目23番地の、旧早稲田通り沿いにある庚申塚です。この場所は交差点名にそのまま「庚申塚」の名称がつけられており、交差点の北西の角地に建てられた小さな覆屋に4基の石造物が並んでいます。
庚申塔は板状駒型の青面金剛像で、向かって左側に「元禄五壬申天十一月十五日」と刻まれていることから、元禄5年(1692)に立てられた庚申塔であることがわかります。
 旧早稲田通りは杉並区から練馬区に入り、禅定院門前の「豊島橋」交差点で西に向きを変え、南大泉を経て保谷(現在の西東京市)から所沢市へと通じており、かつては「所沢道」と呼ばれていました。『新編武蔵風土記稿』ではこの道は単に「所沢ヘノ道」と記しているしているようですが、『石神井村誌』には「所沢道」と記されており、大正時代には所沢道と呼ばれていたようです。
私は、若い頃から何度もこの道を車で通っていて「庚申塚交差点」の存在は知っていたのですが、庚申塔や塚の存在など気に留めたこともありませんでした。古墳巡りをするようになってからこの交差点名が気になっていて、お休みの日に自転車で見に行ってみたのですが、今では交差点の角に石造物が残されているのを見ると、ホッとするような暖かいような気分になります。
 所沢道は、大泉石神井から江戸方面への産業の道であったとともに、江戸からの参拝、行楽の道でもあったといわれています。この庚申塚が道しるべでもあり、休息の場であったのかもしれませんね。。。  (「古墳なう 練馬区」より)]

庚申塚 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は庚申塚交差点で、カメラ北西方向角に石塔群があります。